苦しいお正月

実家で食事をとると、一品一品の量が尋常じゃない。

「できたわよ」と渡された年越しそばは一杯に3人前が入っていたし、翌日の昼ごはんに食べた、家で作ったらしいおもちは形を変えて5つ出てきた(おそらくご飯茶碗3杯分はある)。今日の朝ごはんはおいしそうなうなぎごはん。こちらは少し学んで2人前ほど。

食事はこれだけではない。おかずも1つの量がとにかく多いので、食事をする前から身体なのか心なのかが重くなっている。

たくさん食べてほしい気持ちはわかる。「普段ちゃんと食べてないかもしれないから」なんて考えて、帰ってきた時はたらふく食べさせようなんて思っているのかもしれない。

けれど私は、食べきれないで残すより、おかわりがしたいんだけどなぁ。お雑煮の中でふやふやになったおもちを眺めながら、「ご馳走様」と手を合わせた。

年末には母親とケンカをした。謝っても「意識が足りない」など、「どうしてこうしなかったの」など、もう変えられない過去の話をぐちぐち言われたものだから、「ケンカがしたいんじゃなくて解決したいんだけど、いつまで過去のこと言ってくるの?」なんて怒った。今変えられないことは言いたくないし、言われたくない。

数日たって母親が、「この前の話、確かに私もあなたぐらいの歳の時は、あまり意識がなかったかもしれない。両親には言われていたけれど、子どもはいつも、そういうものなのかも」と、若い時の母親と、祖父母の話をぽつりぽつりとし始めた。

母親になってわかることもあるし、母親になったらわからなくなってしまうこともある。きっとそうやって、時代を変えても親子は同じようにケンカをしてきた。多分私もいつか、またはもしも、母親になる日が訪れたら今日のことを思い返すのだろう。

ケンカの件をうけて、ふと考えた。もしかしたら私もいつか、(もしいるのなら)娘や息子に、3人前の年越しそばを出す日が来るのだろうか。

けれど答えはノーだ。瞬時にノーだ。正月から大切な人に、こんなに苦しい思いはさせたくない。

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