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「好き」を止めるフタを外せ

「やりたいことが思い浮かばない人は、“やりたい“って言っちゃいけないのだと、欲望に対して細かいフタがたくさん閉められてしまっているのだと思う。それを1個づつ外していくと、やりたいって言えるようになってくる」

サクちゃんの#夢組叶え組 の会で、こんな話がでた。

好きなこと、得意なことがなかなか言えないのも、もしかしたら「言ってはいけない」と何かがフタをしているのかもしれないなぁと考えた。どうやらそれは私の場合、“被害妄想で起こる周囲の圧力“であるような気がしている。

人の目とも違う、実際圧力をかけられているわけでもない。常にみんなが自分を見ているわけでもなければ、過度な要望を押し付けているわけでもないのに、勝手に周囲から圧力を感じてしまうのだ。

そしてその理由は、周りに素敵な人、優秀な人がたくさんいて、それに支えられてなんとか生きていると思っていること、それに比べて私は何もできないと思ってしまうことが原因なように思う。好きを言おうとしても、趣味をこたえようとしても、周りにいる私よりも強い人を見て、「私はまだまだ言えるようなレベルじゃない」と勝手に委縮しまうのである。

自分よりもすごい人がいるのは百も承知だ。けれどその人たちにどう思われるかや、能力、実力の差を何も考えないで、ただ「自分が」好きなことを話すとしたら、一体何を話すだろう。

おそるおそる“被害妄想でおこる周囲の圧力“のフタを外してみた。すると出てきたのは「書くことが好き」だった。

思えば小さい頃から、3日坊主なりにちょこちょこ何かを書いていた。日記を書いては祖母や先生に見てもらっていたし、雑誌「小学〇年生」の裏にある「文通友達募集」の投稿を見ては、気の合いそうな子にかたっぱしから手紙を出していた。本を読めば自分でも物語を作って書く(そしていつも、ルーズリーフ3ページくらい書いて終わってしまう)。

中学に上がって「インターネット」というおもちゃを手に入れてからは、自分のHPを作って遊んでいた(オモチャバコ、という名前で、バナーも作ってもらっていた)。

メインコンテンツは当時流行っていた「TEXT」。自分でテーマを決めてそれに対して書いていく、まさにエッセイ・コラムもどきだ。BBSと呼ばれる掲示板では、HP仲間の数人と毎日メッセージのやりとりをしていたし、頻繁にやりとりするメル友も5~6人はいた。テスト前にパソコンの利用制限をされてしまうと、辛くて辛くて耐えられなかった。

メル友のなかでも2~3人とは特に仲良くなって、毎日のやりとりに加えて手紙も送りあっていた。好きな歌の歌詞を写すのも好きだったし、交換ノートもびっしり書いて渡していた。

好きな歌詞を堪能することも、自分の考えを発信することも、友達とのやり取りも、振り返ればいつも文字を介して行っていた。


文章のうまい人も、インターネットが大好きな人も私の周りには溢れていて、さらにその人たちは好きだけにとどまらない。共感を得て、周りにいい影響を出して、堂々と「好き」という。

書くことを仕事にまでしてしまったこともあり、書けない日々や圧倒的に周りとレベルが違う現実を突きつけられ、いつの間にか「好き」の劣等生を感じるようになったような気がする。劣等生の自分は恥ずかしいから、なるべくバレないように、「特に好きってわけじゃないけど…」なんて言い訳したかったんだろうなぁと思う。

自分の欲望を閉めてしまったフタは何だろう。それを外したら、何が出てくるんだろう。じっくり考え見つけ出して、フタを外していきたい。好きなものを好きと言えるのは、とても気持ちがいいことだから。


へなちょこなのに「書くことが好き」なんて言っちゃってどうしよう、なんてそわそわしています。

そういえば、一番最初の毎日noteはこんなことを書きました。


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