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幸せは肩書とイコールじゃない

「これが手に入ったら幸せだろう」と猛進して突き進んでみたけれど、いざ手に入ってみても全然幸せな気持ちになれなくて、「私の幸せ、一体どこにあるんだろう……」みたいに思ってしまうことって、生きていく中できっと訪れる出来事なのかもしれない。

忙しい真っ最中の時にふと手に取った漫画「ときめきさがし」には、働くことが大好きで、働きすぎて倒れてしまった女性が主人公で出てくる。「仕事をするのが幸せだけど、無理をしたらつぶれてしまった」の先のストーリーになんだかちょっとモヤモヤした。彼女は1年間の休職中、出産して、仕事を辞めるのだ。勝手に解釈しただけかもしれないが、「仕事はほどほどに、家族を持ち、出産をすることが結局は幸せだよね」みたいな結果に捉えてしまい、"女性の幸せ"を決められているような気持ちになってしまったのだ。

最近見た東京女子図鑑には、「幸せとは何か」が見えなくなった女性が出てくる。最初に感じた「幸せ」に飽き足らず、もっといいもの、もっといい人を探して頑張ってきただけなのに、結局「これで幸せだったのだろうか」と悩む結末が待っていた。

なかなか恋人を作らない人、結婚をしない人に対しても「早く幸せになって」と言葉をかける。もちろん私もそう声をかけたことはあるし、"結婚する"と聞くとよかったとか、おめでとうとか、嬉しい言葉をかけたくなる。恋人ができても苦しむ人、結婚をしても問題が起こってしまう人はたくさんいるのに、できたことに対して「よかったこと」と思えるのは、一体どこから来るんだろう。

自分の幸せは、「私がどんな人間であっても、信じてくれる人がいること」にあると思う。「失敗しても大丈夫。味方だから」と後ろで支えてくれる人がいるからこそ、新しいチャレンジができる。不安を抱えずに、新しい世界に飛び込んでいけるし、ほかの人にも優しくできるような気がする。多分そういう人はきっと、多いんじゃないかなと思う。

そんな人間関係であれば同性でも異性でも、友達でも恋人でも構わない。けれど今の社会や常識では、「信じあえる人の存在」がダイレクトに恋人や夫婦に結びついているからこそ、"幸せ"がそこにあると思ってしまうのだろう。

1人1人幸せの定義は違うから、もっと「幸せ」という言葉を細分化して使った方がいいのかもしれないなぁ。

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