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毎日書き続けて思い込みが減っていった

スッキリした部屋で、2018年の日記やらnoteやらを眺めながら過ごしている。朝にかけた乾燥機が止まるまで本棚の整理をしようと思ったのだけど、せっかく1年最後の日なのでこれまで書いたものを振り返ってみたくなったのだ。

本当に何も考えず、出来事と“楽しかった””悲しかった”くらいの感想を添えたものが日記。けれど時々グサリと刺さるような、その時の気持ちが響いてくるものもあった(それはたいてい回復に時間のかかる悩みだったものだ)。夏を楽しむことに必死になって、1年のうち冬と秋ぐらいにしか書いてなかったから、来年こそはメモ程度でも細々毎日書き続けたい。

noteはそれなりに頑張って言いたいことを整理したり、オチをつけたりして書いている。心が動いたことを考えて、そこから書いてきた。見返してみるとなんてつまらない内容なんだ……!と恥ずかしくなってしまうnoteが多くてヘコんだけれど、それが「わかるようになった」だけでも進歩している証拠だと思って、やり過ごすことにした。

noteなり日記なり、自分のことばで書く文章を書き続けて実感したのは、「自分のことを正しく理解していない」こと。

自分は話すのが苦手だとか、何もできないとか、良いところがないとか、今までもやもや悩み続けた自分に対する評価は、結局自分を内側からしか見れていない結果だった。思いこんで決めつけた世界に没頭しすぎていて、他人から見える自分や、実は勝手な思い込みである事象を受け入れられずにいたのだ。

自分から見た自分や、それを取りまく周りの世界をことばにして発信し始めたことで、「本当にそうなのかな?」と疑う機会が出来た。そこで初めて、実はあまり意味のないマイルールに縛られてしまっていた事実や、ダメダメだと思っていた自分、もしかしたらここで役に立ってるかも? みたいな場所に気づけるようになったと思う。

うわぁぁぁと思いのままに書きなぐる日記も大事だし、ちょっと落ち着いて、それをまとめてnoteに書くことも大事。人と関わって生きる中で、自分の世界に入り込まず、ちゃんと周りを見るために、私にはnoteが必要なのだろうなと思う。

2018年。ひたすら書いて、書くことが好きだとも気づけたいい年でした。来年もよろしくおねがいします。

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