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趣味の定義

「趣味」

この言葉によく悩まされてきた。

毎日noteを始めたときの、初めての記事も趣味について書いた。

自分がやっていることの一体何を「趣味」と呼べばいいのかわからなくて、聞かれるたびに口ごもっていたわけだけれど、最近になってようやく明確な、自分なりの"趣味の定義"を見つけられたような気がする。

今年の目標のひとつに、英語力の向上がある。1月から細々と勉強を続けていたのだけれど、コロナ騒動を境に一時中断、そして4月の中頃からまた復活した。MATCHAで一緒に働いている、インドネシア人・インドネシア在住の女の子と最近はよく英語でおしゃべりするようにもなって、英語を学ぶことがちょっとづつ習慣になりつつある。あるのだけれど、なんだかモヤっとしている。

なんでだろうと考えたときに、英語を勉強した時のゴールを設定していなかったことに気が付いた。このまま勉強を続けても、何をもって上達したとか、できるようになったとか言えばいいのかわからない。私はどこへ向かったらいいのか、すっかり迷子になってしまったのだ。

ふと、英語の勉強が趣味だったら、そんなこと1ミリも考えなかったのかもしれないなと思った。勉強自体が楽しくて満足しているのだから、どこかを目指すわけでも、上達したらやめるわけでもない。完全なる息抜きだ。そんな風に考えると、趣味とは「目標が無くてもずっと続けられること」を言うのかもしれないな、と思った。

私が英語を勉強するのは目的があるから。そのためゴール設定がされていないと迷ってしまう。目的有無で趣味が切り分けられそうだ。

たとえば、映画。最近たくさん見ているけれど、別に目標は掲げてない。楽しいから見ている。だから趣味。

たとえば、読書。確かに仕事で役に立つかも、と考えてはいるけれど、役に立たないからといってやめたりはしない。昔は目標も決めていた。けれど決めずに好きなものを読んでいる今は、趣味と言ってもよさそうだ。

たとえば、原稿を書くこと。依頼を受けたからにはやらなくてはいけないし、上達がしたい。進むべき道が見つけられないと不安定だ。「このままでいい」とは思えない。だから私は、原稿の執筆を趣味にできない。

たとえば、毎日note。最初は文章力の向上が目的だったけれど、何をもって達成したかわからなくて悩んだ。たぶんこのころは、趣味ではなかったのだろう。今は思考の整理に便利だから、と思って書いている。とはいえ「毎日書く」と決めているから、趣味でもないかもしれない。歯磨きしたり、お風呂に入ったりと同じような、日常の出来事。

趣味ではないな、と思うと、悩んだ時の解決方法がわかりやすくなった。英語は目標値を作るため、その日のうちにオンラインテストを申し込んだ。現状の数値を出して、目標を決めるためだ。

映画や読書は、好きな時に好きなように見よう。仕事のために見る時は、目標を決めよう。

"趣味を仕事にする"ことが良しと思われる時代ではあるけれど、趣味と仕事の間には、大きな違いがある。責任という重要な違いがある。さらに私は、仕事に目標やら成長やらを求めている。

もちろん仕事にした"趣味"に熱狂的で、極限まで極めている人なら悩むこともないかもしれない。けれど私にはまだ、何もかも忘れてそれだけがしたくなる趣味には出会っていないし、人類の中でそれに出会える人も一握りだろうなと思ってしまう。

だからこそ、何のためでもない、ただそれ自体が楽しい"趣味"を失わずにいきたい。たとえ仕事と趣味が大きく重なっていたとしても、ぴたりと一致はさせないで、「好きな仕事」と「趣味」にしておきたい。



去年の毎日note


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