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一生理解できないこと。

「一生理解できないんだろうな」と思ったことがある。

それはパスポートを複数持っていること。“自分の国籍がいくつかある“ことだ。

アメリカで生まれ育った友人の恋人は、両親が台湾人だ。そのため見た目は台湾人。メインで使う言語は英語だけれど中国語も話せる。パスポートはしばらく2つもっていたけれど、久しく台湾に住んでいないので今は1つ。けれど申請すれば2つもつことができるらしい。彼はいったい、台湾人なのだろうか、アメリカ人なのだろうか。

ふと、「今、自分から“日本人“を取ったら」を考えた。“日本人独特の〇〇“と言われるような文化は、自分の性格につなげられない。例えば周りと合わせるだったりとか、言わずに察する文化だったりとか。自分の性格を「日本人的」と言ってそのままにしていた部分が、全部理由のない、おぼろげなものに変わっていってしまうのだ。

日本生まれ、日本育ちの人間からしてみると、「日本人」それ自体がすでにアイデンティティで、国籍は1つ、ぶれない部分になっている。日本は帰ってくる場所であり、出発点でもあるのだ。こんな国が複数あるとなると、自分はどこに帰属しているのか、どんな特徴をもっているのかがわからなくなり、「自分とは」が見えない不安に襲われそうだな、と思う。

何を見ていくか、と言われると、やっぱりそこは「自分」なのかもしれない。「日本人だから」ではなく、「自分はどんな人間か」を、自分のことばで作っていく。友人の彼の苦労はきっと、そこにあったのかもしれない。

“2つの国籍“について、イメージも理解もできないけれど、「その人をそのまま受け止める」ことはしていきたいな、と思った今日の昼下がり。身の回りの当たり前は、世界の当たり前とは限らないことを痛感しました。



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