2019年7月第3週について

人類が目にするニュースの多さは、加速度的に増えている。よっ、IT時代。たぶん縄文時代の人間が3年くらいかけて触れた情報と、この1ヶ月で日本人が触れたニュースは同じぐらいの量なんじゃないだろうか。知らんけど。

2019年7月第3週。日本列島をあまりに多くのニュースが駆け巡った。その多くは遥か後方へと流れ去っていき、緩やかに忘却されてゆく。

7/18 京都アニメーション放火事件
7/20 イラン、ホルムズ海峡でイギリス船を拿捕
7/20 よしもとを巡る宮迫・田村の会見生配信
7/21 参議院選挙投開票
これだけ多くのトピックが流れゆくその間にも、韓国への半導体輸出規制、香港のデモの混乱激化、西日本で繰り返す豪雨など、トップニュースは目まぐるしく変わり、スマホの画面がわたしとニュースを繋ぐ。

わたしは情報処理が早いタイプではない。訓練不足の一面は否定できないが、それで割り引いても、あまりに多くのニュースが飛び込んでくると、それらについてじっくり考えることも、自分なりのオピニオンをもつことも難しい。つい、メディア(広義のメディア。新聞テレビだけではなくSNSも)の見解が自分の見解だと思ってしまいそうになる。

そんな中、「マスコミ何してんねん」という意見をちらほら目にし、耳にする。半分正解で、半分不正解なのではないか、とボンヤリ思う。
わたしたちは今、あまりに簡単に情報を手にする。どこかで何かが起こればすぐ、情報は(文字通り)わたしの手のひらの中で点滅する。一次情報に触れることも容易であり、個人が一次情報を世界に向けて発することも簡単だ。これが一億総メディア社会だ。ホェ。つまり変わったのはマスコミの方ではなく市民の方なのだ。あまりに多くの情報を得すぎるがゆえ、自ら情報の渋滞と消化不良を起こしているのではないだろうか。

さて、その中でマスコミという組織的報道機関に残されている唯一といっていい機能が、情報の集積と優先順位付けだといえる。ファクトチェック?そんなものはもう大手メディアの特権ではなく、既に市民の手に渡った。そもそも、「ファクト」というものが失われたともいえる。これだけ多様な価値観の時代、共同体のめざす単一な価値観なき時代には、「真実」は存在し得ない。あるのは事実の羅列のみであり、それは自動的にそれを編集する人間の意見を帯びる。
ゆえに、マスメディアは今、情報を編集して優先順位付けをしている。なので「何を伝えるか」というものに偏りが生まれたときに、その偏りを嘆くという面は、合っている。
例えば今週は、参議院選挙のこと、イラン問題、日韓関係、報じられるべき政治的テーマがたくさんあった。しかし参院選から一夜明け、気づくとメディアはこぞって吉本興業について報じていた。流石に残念すぎるだろう。

ただそれを、マスメディアのせいだけにはできないのだ。わたしたちもまた、自分にとってとっつきやすいニュースにぱくっと食いついてしまう、そんな愚かな人間でもあるのだから。

ただひたすら、「ゆっくり考えさせてくれよな」という後味だけが残った、梅雨明け前の1週間であった。



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