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色を蓄えるという視点

ここ数年で作品の色使いを褒められることが多くなりました。

子どものころは、クレヨンや色鉛筆の茶色だけが早くなくなる子どもでした(茶色の犬を飼っていたから)。絵の具はパレットの中で混ぜすぎてどす黒くなって塗りたい色が作れない。均一に塗るのもすごく苦手。まっすぐな線を引くとか、同じ形にカッターで何かを切り分けるとかそういった作業が不器用でできないし、性格的にせっかちでとても雑です。

図録を作ったり、まれに取材をお受けした時に、
「どうして色画用紙で作品を作るのですか?」
という質問をされて「平面から立体に立ち上がってくる感覚が面白くて」と答えていたのですが、最近どうも違うんじゃないかと思えてきました。

色を塗らなくていいからじゃないかなあ。

作品はすごくカラフルに見せているけれど、作品に使用している紙は複数の銘柄にまたがっても全部で40色ぐらいで、1つの作品に使うのは3〜5色。
自分が不器用で手で塗れないような、均一でマットな質感と色の紙を選んで使用しています。
下絵に、色数と線を絞りながら塗り絵をして、大量の塗り絵から実際に作るものを選んでいきます。

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先日、「アニメーションの色職人」(柴口育子 著)を読みました。
アニメーションの色彩設計の草分け的存在で、スタジオジブリの初期からのメンバーである保田道世さんがアニメーション業界に入ってから「もののけ姫」の色彩設計をされるまでのお話です。

「アルプスの少女ハイジ」、「未来少年コナン」、「ナウシカ」、「ラピュタ」…など作品制作を重ねるたびに、新しい色彩設計を追求し、結果使用する色数が百数十色ずつ増える、そのために自ら色を作り、絵の具の製造に奔走する保田さんの姿が描かれています。

「火垂るの墓」で乾いた草木の色味をだしたり、ドロップで少しだけ甘味をつけた水を表現するために。「未来少年コナン」で水に潜った人と陸地にいる人の顔色に変化をつけるために。水たまりや草木、古来の色や時代背景について観察と実践を繰り返したエピソードがいくつも挙げられています。
「平成たぬき合戦ぽんぽこ」で狸だらけの群像劇で画面を「全部茶色っぽく」しないための苦労も。

本の中で描かれる最後の作品「もののけ姫」でジブリのアニメーション制作に初めてコンピューターが使われる場面が登場します。

今はCGを使ってのアニメーション制作が当たり前の時代になり色彩設計のありようも大きな変化があったようですが、テレビアニメーションなどの世界で色数を増やすことは、作業効率の面から制限があるようです。

アニメーションと他の表現手段とではずいぶん勝手が違うのでひとまとめにして語るのは難しいことですが、
アーティストが作品を作るときにはまず自然や描こうとする感情への深い観察と理解があって、そこから使う素材や公開するメディアに合わせて色や線や形の要素を引き算していくという作業があります。

見るときは引き算が終わった完成作品だけを見ることが多いので、「この作家ってこんな感じよね」とか思ってしまいますが、そこにはひとつずつ「作家のモノを見る目」と「素材やメディアによる制限」の2つのフィルターが作用しているという見方もできる。

フィルターがかかっているものだと意識して作品に触れると、大好きな作家の作家性が正確に見えたり、自然への観察力に感動できたりすると思います。逆にものすごく好きな作家がいて、フィルターを意識せずにその作品に没頭するあまり、自分の制作物がそっちにひっぱられて色数や要素が無意識に減ってしまっている…という学生さんとかもいるような気がします。意識的に模倣しているのであれば問題はないけれど、無意識なら要注意かもしれません。

同じ作家の違う素材で作った作品を見ると、「素材フィルター」の作用が見えるし、同じような素材の同じモチーフなどで違う作家の作品を見れば「作家フィルター」が見えて面白い鑑賞ができると思います。

「アニメーションの色職人」の中で保田さんは「色彩設計の第一歩は、ものをよく見ること」とおっしゃっています。「技術は教えられるけど、色彩設計は教えられない。教えるのは難しい。」とも。
日常の中や生活の道具、水や空の自然から直接色を学んでほしい。

まず自分の中に色を蓄えて、自分だけの引き算はそこからスタート。

www.akiyamamiho.com

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