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鹿児島を好きになるために。

2017年は平日東京でリクルートの仕事をしながら、週末に鹿児島の甑島、長島、頴娃という地域にプロジェクトベースで関わったり、鹿児島市の名山町というエリアに古くて小さな一軒家を借りてDIYしたりしながら、東京と鹿児島とを行き来する二拠点生活を続けてきました。もはや住んでるんじゃないか?と思うぐらい頻繁に鹿児島にいる自分に対して、いろんな方からよく言われたのが「早く会社辞めろ」「独立しろ」「鹿児島に移住しろ」ということでした。「鹿児島がそれだけ好きなら、鹿児島に関わる仕事を本業にしてさっさと鹿児島に住めばいいじゃん」と。そのご意見はごもっとも。でも、そう言われるたびにもやもやする気持ちがあって。なぜなのか整理してみました。

そもそも鹿児島が好きではない

「女なのに勉強して大学に行ってどうするの?それより料理とか家の手伝いしなさい。」この21世紀においてもそう平然と言われる、そんな男尊女卑の文化が心の底から嫌いで、もうここには二度と戻らないと心に決め18歳の時に上京しました。だからそもそも鹿児島が好きではないし、今のところもう一度住むつもりはないのです。この1年、鹿児島各地の地域で活躍するプレーヤーの皆さんから、新しい鹿児島の魅力をたくさん教えてもらいました。でもやっぱり、男尊女卑の文化はまだあちこちにあるし、それは自分にとって呪縛のようなもので。(この呪縛の話はまた別途書きたい。)わたしは自分のふるさとを好きでいられる距離感でいたいのです。

「好きなことを仕事にする」が正だという呪い

鹿児島はさておき、地方での仕事自体はたしかに好きです。誰も答えを知らなくて、余白がたくさんあって、手触り感がある。そんな地方での仕事はクリエイティブで本当に面白いです。しかし、「好きなことを仕事にする」ということが正だと人は言うけれども、本当にそうなのでしょうか?好きなことが必ずしも稼げる本業にできるわけではなくて、特に地方の仕事は即換金化しようとするとあんまり面白くなくなると私は思うのです。単価は安いし、上場みたいなわかりやすいゴールも遠いし、都会の資本主義的な経済で考えるとどうしても割に合わない。でも、この1年地方に関わる中で、お金では価値を計りづらいけれども大事なものをリターンとしてもらってきたように思います。それは新しいふるさとのようなコミュニティ。今の自分の東京での暮らし、生活がベースであるという感覚がいい意味で薄れて、依存度が下がる。東京の会社をクビになったら、しばらくここに来ようかな、ちょっと頼ろうかなと思える人がいろんな地域にいる。それってすごく生きやすくなる。いまの私は本業があってベーシックインカムが確保されているからこそ、お金にはならなくとも大事だと思える地方のプロジェクトに関わることができて、このリターンを享受できている。好きなことを必ずしも仕事にする必要はないし、好きなことを純度高くやるためにあえて仕事にしないという選択もあっていいんじゃないかなと思います。

地方への関わり方にグラデーションをつくる

そうやって選択しているいまの関わり方を「リスクを取っていない」「大企業をやめたくないだけだろ」と言われることもある。移住せよ、さもなくば関わるなと言われているようでとても残念な気持ちになります。覚悟がないと、リスクを背負わないと地方には関われないのでしょうか?なんだかそれって息が詰まる感じがします。何度も足を運んで楽しんでいる様子をSNSにアップしたり、それをみた友達が興味をもって一緒に遊びに来てくれたり。専門性を活かしてプロジェクトのお手伝いしたり。地方への関わり方はもっとグラデーションがあってもいいはずです。今月のソトコトでも、タイムリーに関係人口の特集が組まれてますね。わたしは自分のふるさとを好きになるために、2018年も自分なりの関わり方を模索していきたいなと思っています。今年もよろしくおねがいします。

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