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あと3日と言ってたなー

2020年あっという間の半年でした。

3年だった今も、折に触れ思い出すのはお姑さんの事。

性格が合わず、避けてばかりいた、文字通りの嫁姑でしたが、亡くなる前の3ヶ月半の入院で、本当の親子のように心を通いあわせる事が出来ました。

離れてみないとわからない、その人のありがたみ、家族の思い。

そして、亡くなって初めてわかる、その生き様の尊さ。

お姑さんは、子供を愛し、孫たちを愛し、自分のことはいつも後回しで、家族のために生きた人だった。

そして、こんな私のことも誰よりも愛してくれていた。

わがままで、強情で、あまのじゃく。

嬉しいことも素直に喜べない。

そんなところが大っ嫌いだったけれど、

晩年は、私の邪魔にならないように、嫌なことも言わず、淡々と家事をこなし、

黙ってテレビを見ていた静かな人だった。

優しく出来なかった事もあった

自分を守りたかったから。

あのままでは、私はお姑さんに何もしてあげられずに

お姑さんも、今でも生きていたかもしれない。

でも、元気だったお姑さんが病気だとわかり、緊急入院した。

人生は何が起きるかわからない。

毎日病院に行き、

話す事もないけれど、顔を見せるだけでも、と仕事の合間に通った。

「明日は来んでもええで」と言ってくれるけれど、

それしか出来ることはないので、行った。

寂しがりやだから、本当はもっとずっといて欲しかったのだろう、

一階まで送ってくれていたのに、

それがエレベーターのところまでになり、

ベッドから起き上がれなくなり、

言葉さえ出せなくなった。

まだ言葉が話せたある日、

「あと3日や」

とお姑さんが言った。

「何が?」

と聞くと

「私の命」

「何言うてるん!?これからもっとリハビリして、元気になって帰って、また旅行とか行くんやで」

その時の私にはお姑さんが亡くなるというイメージがなかった。

その後半月近く病院に居て、退院の時には要介護5という、赤ん坊のような状態になってしまった。

そして、家に帰って3日後にその日が来た。

お姑さんは、家族みんなが見守る中で、静かに、穏やかにその生を終えた。

子供達が自立して家を離れ、残された私達3人が過ごした日々は、あ姑さんにとって寂しいものだったのだろう、いつも孫たちの帰りを待っていた。

けれど、病院にいた3ヶ月半の間に、孫たちは変わる変わる何度もきてくれていた。病気ではあったけれど、どこが痛いと言うわけでもなく、病棟の皆さんには大切にされ、多分、家にいる時よりは賑やかに、日々を楽しんでいたように思う

彼女は自分の思うように最後の日を待ち、そのタイミングまで決めて、亡くなったのだ。

人はみんな、自分の思ったように生き、亡くなる時も自分で決められるのかも知れないと、彼女をみて感じた。

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