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窮屈な自分

はたらくを自由に

この言葉をみたとき、「あ、自分が目指しているの、これだ」と感じた。

私が感じる窮屈を掘り起こして、どうしたら自由に働けるのか、考えてみよう。

職業の窮屈

私は看護師であり、保健師である。

職業として働く場所がかなり限定されている。

看護師であれば、病院、クリニック。

保健師であれば、保健所、保健センター。

一般的にはこんなイメージがメジャー。保健師に至っては、その職業すら初耳という人も少なくなく、「生命保険売る仕事?」と聞かれることも多々ある、そんな現状。

実は看護師も保健師も、病院で働くだけではなく、個人で独立開業していたり、フリーランスで働いている人もいる。

これこそ、働き方の多様性で、医療業界としては珍しいことだとは思うのだけど、

ただ、個人事業主として働くことは、他の業種ではよく聞く話。

それに、何を売りに看護師として独立するのか。

そんなことができるのは、前のめりのバイタリティー溢れる一部の人。

まだまだ医療業界ではメジャーな働き方とは言えない。

個性の窮屈

「個性」と言えば聞こえはいいけど、

実際はそんな生ぬるいものじゃない。

私は、看護師、保健師という仕事をしていたせいで、うつ状態になった。なった、というか、なっている。現在進行形。

飲む薬の量はだんだん増えているし、死なないように耐えるのに必死な日もあるし。

正直、仕事のせいかと言われればちょっと違うかも。

職業関係なく、職場の人間関係だったり、自分の性格だったりもあるから。

ただ、周りの医療者って、結構、心を病む人が多い印象ではあり、

実際、看護学生時代から心を病んで辞めてった友人を何人かみてるし、

就職してからもロッカーで泣きながら着替えてたり、就業前にトイレで泣きながら嘔吐してたり、そんな同僚は何人もいた。

心が病むのって、「心が弱い」って思われがちなんだけど、私はそうじゃないと思う。

精神科に入院している患者さんとか、そこまでいかなくても、心を病んでしまった友人とか見てると、「心がとてもきれい」。

それは、他者に対する優しさとして自分を犠牲にする盾として表れてるな、と感じる。

心が弱いんじゃなくて、心がきれい

それでいて、適応できる環境のギャップに耐えられなくなったとき、

心を病んでしまうんだと思う。

それを「個性」という言葉にするのは簡単だけど、

当事者からしたら、たまったもんじゃない。

敏感の窮屈

心が色々なものに敏感なのも、うつを引き起こした原因の一つ。

例えば、私の場合、

色々な音が同時に聞こえる環境にいること、

明るい(蛍光灯の光)環境にいること、この二つがとても苦手。

コピー機の音がガシャガシャしている中で、取り引き先と電話をしている同僚の声、同僚同士での会話の声、パソコンのキーボードを打つ音、電話が鳴る音、扇風機の音…

こういうものが同時に聞こえてくると、たまらなく心がざわざわする。

「気にしなければいいじゃん」って思うかもしれないけど、

気になくて済むなら、とっくの昔にそうしてる。

心のざわつきは、例えるなら、ずーっと鳥肌が立っている感じ、かな。

気持ち悪いでしょ、1時間も2時間も鳥肌立ってたら。

蛍光灯の光は、ブルーライトカットのメガネをかけたらかなり軽減された。

でも、音ばっかりはどうしようもない。

私が心を病んでしまった原因の一つがこの敏感さ。

私にとっての、#はたらくを自由に

職業の窮屈、個性の窮屈、敏感の窮屈。

私の場合、はたらくにあたって3つの窮屈を感じている。

これらの窮屈に加えて、今は体調に波があり、起き上がれない日も。

精神科の先生からは「ゆっくりしっかり休みなさい」と言われているけど、

休むことが悪いことのように感じてしまい、逆にゆっくりできない私の性分を知ってくれている、昔の職場の上司(個人事業主として独立)が

働けるときにだけ、自宅で仕事してくれればいいよ

という、神様みたいな提案をしてくれて、少しではあるが、仕事を頂いて働いている。

これこそ、私にとっての自由な働き方。その第一歩。

看護師=病院でも、保健師=保健所でもない。

もっともっと色々な働き方の選択肢を増やすことができれば、

私みたいに色々制限がある人でも、医療職を続けられる。

人の役に立ちたいと思って歩んだ、医療職としての人生

窮屈な世界が原因で、諦めようとしている人にとって、全てが灰色で苦しい中でも、

私の働き方が、一滴の色水となって、誰かの心に留まることを願いたい。

励みになります♡