突き抜けるにはブラックな経験が必要

最近ブラック企業は淘汰されてきていますね。

長時間労働、サービス残業、パワハラ。従業員としてはこれらのことがあれば声を上げやすい世の中になっているのもブラック淘汰に拍車がかかっています。

もちろんこうしたブラック企業が良いとは思いませんし、僕も働きたいなんて思いませ。働いたとしてもバスっとやめてしまうと思います。

もちろんダメだということは前提においておきますが、でもちょっとさびしくない?って思ったりします。

一昔前、タイにはバックパッカーの聖地といわれるカオサンという場所がありました。カオサンとはタイ・バンコクにある、お世辞にも綺麗とは言えないドミトリー形式のゲストハウスが沢山あって、お腹を壊しそうな屋台が沢山あったところ。

でも10年前くらいまでは本当にたくさんのバックパッカーがいて個人的にはあの雰囲気が好きで、でもエアコンのついていない宿は暑がりの僕には向かないので、泊まりはちょっといいところに泊まっていた。

少し前に行った時、屋台は禁止され、以前のヌラヌラ?とした熱気は失われていて、もうあの雰囲気を味わうことはできないのか、、と寂しくなりました。

人って多様で整った環境を求める人ばっかりではないんですよ。自分で選んで整っていない、良いとは言えない、場所にいることだってあるんですよね。そんな場所で自分はどんなふうに思って、何をして、何ができないのか。それを知りたかったりするもの。

問題になるようなブラック企業とカオサンの決定的な違いは、自分で選んでその場所にいるかということ。

企業に入る、辞めるの選択権は形式上はあるけど、そんなものとは別次元。自分がそこで何かを得る、知る、学ぶことを選んでその場所にいるか。家族、子供、家、ローン、社会性、ステータス、そんなものを抜きに純粋な自分の意思でその場所・会社にいる人にとってブラックはブラックじゃない。

そういう意味では画一的にブラックはアウトとしてしまうのも寂しい気がする。朝から夜遅くまでとことん働いて得るものはある。

9時に出社して、17時30分に帰る。やっぱりこれでは仕事を楽しめないよ。

そんな僕も今では自分の会社をしていますが、よその会社で勤めていたころはどっちかというとあまり遅くまで働く方じゃなかった。(いや、周りがおかしかったのか?)

仕事はとても面白かったし、結果も出てた。でも心の底からそれがしたかったかというとそうではなかった。だから自分の時間も大事にしていた。

でも自分の会社をして思うのは、自分の意思で純粋に選んだ場所ではブラックなんて全くブラックじゃない。どれだけ時間があってもたりないくらい仕事がしたいと思うんです。

で、こうした期間、今で創業7年目くらいですが、めちゃくちゃ成長していると実感できてます。間違いなく言えるのは「ブラック」な期間は人を成長させる。

何度も言いますが、純粋な自分の意思に基づかない、意思に反する、ブラックはダメですよ。

「昭和か!」といわれそうですが、最近過酷な経験をしない人が増えてますよね。スマートにいくのもいいんですが、やっぱり大変な時期って成長するし、深みを増す。話聞きたいと思うもん。

35歳に近づき、周りを見ていると、これまで「ブラック」な経験してきている人は輝いてる。良い顔してるよ。

だからブラック企業を画一的にルールで縛ってしまうのではなくて、もっともっと働く人たち側に選択権を与えて、自分の意思でしっかり仕事を選べる環境、社会を作れれば良いのにな。

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