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リサはリサじゃなくてもリサ

少し前、といっても先月のことですが
LINEの友だちの整理をしました。

疲れたなあと思ったときや
こころが荒んでるなあと感じたとき、
わたしはまず、身の回りのものを片付けることにしています。

こころが荒むのが先なのか
身の回りが荒れるのが先なのかは、
"にわとりが先かたまごが先か" と同じで
よくわからないけれど、
とにかく関係はある気がします。


LINEもその片付けのひとつ。


特に仲が良いわけでもないけれど
その場の流れで友達追加した人、
かつては交流があったけれど
もう二度と関わらないであろう人、

いま現在を全く知らず
思い入れもない人は削除しました。


でもたまに、
ふと目を止めて見てしまう人もいます。


今回だと、リサ。

彼女は高校時代の友達で、
2年生のとき同じグループにいました。


リサは口が悪くて
食べ盛りでいつもお腹を空かせていて、

バイト禁止なのにばりばりバイトして
ピアスなんてもちろん禁止なのに
鼻や口にピアスをあけて
マスクつけてればバレねーし!と豪語して、

だけど色白で華奢で可愛くて
運動神経もすごくよくて
自然とみんなの中心にいて、

誰に対して媚びることも避けることもなく
本当に同じように接して話していた、リサ。


いろいろと乱暴なところはあるけれど、
誰も傷つけず干渉しすぎず
きちんと自分を持っていて、貫いていた。


格好よくて可愛くて、
わたしはリサがだいすきでした。


たぶんあこがれていたのだと思います。


リサ、という名前も
彼女にぴったりだ!と思っていました。



だから、リサ、というその名前が
わたしのLINEの友だちから消えたとき、
とてもかなしかった。

ブロックされた、とか
そういうことではありません。


かつて確かにリサだったアカウントは
いまも確かにわたしの友だちリストに存在し、

だけどそれは彼女の自撮りのアイコンのまま
源氏名に変わっています。



だいぶ前から気付いてはいました。

そのときと先月のちがったことは
Instagramが紐付けされていたこと。

一瞬は躊躇したものの、すぐに開きました。

お店での自撮りのほかに、
ブランドバッグを買った投稿や
同じお店の子の誕生日を祝う投稿。


Instagramを見てはじめて
ショックを受けた理由がわかりました。

高校卒業後のことは
何ひとつ知らないリサだけれど、

でもあんなに可愛くて格好よくて
自分を貫いていたリサが
その仕事をしているイメージができなくて、
リサがリサではなくなる気がして、怖かった。

リサはもう、
わたしの知らないところにいる。

それを名前によって突きつけられた感覚。

何となく面識のあった同級生が
結婚したのを人づてに聞いたような、感覚。

リサが変わることを恐れているのではなく、
リサが変わることによって
自分が置いてけぼりである事実が浮き上がる、
そのことを恐れている。


でも、比べてもしかたない。

わたしは大学に行って就職して
どうしたものか一年足らずで辞めてしまって
ニートを経て今はフリーターだけど、
それでも毎日ちゃんと過ごせてる。


リサがなぜいまの仕事に就いたのか、
わたしは知るよしもない。

でもお店のホームページに載っていた
リサのキャッチコピーは
笑っちゃうくらいリサだったから、
たぶん大丈夫。


リサはリサじゃなくてもリサ。
わたしはわたし。

でももしいつかばったり会ったら、
そのときは全力で「リサー!」って呼びたい。


リサの明日も、わたしの明日も
きっといい日でありますように◯


最後まで読んでいただきありがとうございました*

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