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それが私の生き方

今年は色んなことがあった。
コロナ前の2月にはパートナーがいなくなり、
世界中でコロナが流行してしまい在宅勤務を経験し、
死ぬほど働いて疲弊して会社を去った。
周りは結婚出産でこれまでのように連絡はとらなくなり、1人で暮らしていると1日誰とも口をきかないなんてことも珍しくない。

なんだか段々生きている意味がわからなくなってきた。
そんな中、実家に帰省することになった。
家事をしたり高齢の猫の世話をしつつ、この猫と両親がいなくなったら生き続けられないなと思い感謝しつつもなにもやる気が起きずぐうたらしてしまっていた。
少し休んだらまた仕事を探して働かないといけないのにこのまま朝も起きられずの状態で大丈夫なのか…と思っていたところに、犬を飼うことになり、子犬が癒えにやってきた。
対面するとかわいすぎる!!
断然猫派だったのに、このわんこはかわいくてたまらない。
人懐っこくてペロペロなめてくるし、人の顔を見るとしっぽをふって喜んでいる。
存在意義が見出だせなかった私を必要としてくれているかのように…
次の日からこの可愛すぎる子犬にエサをあげたり世話をするために早起きするようになった。
あんなにグダグダしていた私が早く子犬に会いたくて起きるのだ。
過去にも犬は飼ったことがあるが、早起きにはならなかったし、ここまでの愛情がわいてこなかった。
心境の変化なのか、たまたま犬との相性なのかわからないが、そんなことってあるんだと驚いた。

出産報告している人が、我が子が可愛すぎて親バカになるとSNSに書いているが似たような感覚なんだろうか…
そもそも気持ちに余裕のなかった私は自分で作った状況であるとはいえ、仕事もプライベートも何もうまく行かない中で他人のハッピーな報告を見ても正直なところ、喜べないし、むしろ暗い気分になる。
ハッピーな状態の人は頼んでないのにこちらを憐れんでくれるが、これもまたいい迷惑。
人生の敗者感を助長されるだけである。

先日、バチェロレッテという番組で、今回のバチェロレッテが最終的に誰も選ばないという選択をしているのを見た。
番組内で敗れた男性陣から「私の人生は私が決める」と言っていて、一見強がっているように思えたし、実際に強がっているところもないとは言えないと思うが、芯の強い女性だなと思った。
アラサーで未婚と言うだけで、生きづらさを感じる世の中でそのような女性を見るとどんな生き方も間違っていないし、誰に批判される必要も肩身が狭い思いをする必要もないんだなと思えた。

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