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振付け作品集1 「久高萬寿主節」「繁盛節~崎枝節」

はいさい!ご無沙汰しております。Shimozatoです。

私、これまで「創作エイサー」「和太鼓奏者(いっちょ前に奏者なんて言ってみる、、)」とさまざまな舞台活動をさせていただいていますが、実は今年で芸歴「29年」になるんですねぇ。。そりゃ歳とるよね。。。

小学校5年(10歳)のころに、地元浦添の「鼓衆太陽子(ティーダヌファ)」に入団してからのカウントですので芸歴29年となります。(その前年に、琉球古典音楽太鼓徳八流保存会に入門しているので、それも含めると、なんと芸歴30年、、えらいこっちゃ)

ちなみに、鼓衆太陽子の母体は「鼓衆若太陽(ワカティーダ)」で、ジュニアチームの位置づけですね。(現在は鼓衆グループとしてたくさんのチームがあります。)

さらに、来年はShimozatoが学生時に立ち上げた沖縄国際大学の創作エイサーサークル「鼓舞楽団 浦風」が結成20周年を向かえる節目の年になりますので、その記念とこれまでの活動の記録として、過去に私Shimozatoが創作してきた数々の踊りを当時の思ひ出を織り交ぜながら、皆さんに紹介していきたいと思います。

記念すべき第1回目は「久高萬寿主節(沖縄民謡)」「繁盛節〜崎枝節(八重山民謡)」です。
2000年振付け。
※2曲とも楽曲はパーシャクラブさんを使用。
【CD名】新良幸人PARSHA CLUB

当時私は高校三年生、学校の体育祭でエイサーをやるとのことで体育科の先生から話があり、約20分の構成・演出を担当しました。
そのとき、担当教員から「オリジナルの踊りがあってもいいね、なにかある?」という話を受け、急遽この2曲を振付けることに。

体育祭の取り組みは、一学期の後半から(6月の中旬だったかな?)なので、突貫作業で振りつけて、夏季休暇に入ったら、それぞれのクラスのリーダーを集めて、撥の握り方、太古の持ち方・たたき方を教え、同時並行で振り付けも教える、、という強行軍。
休み明けには、各クラスのリーダーがそれぞれのクラスに持ち帰って教えて、僕は必要に応じて各クラスにはいって教える、、という流れでした。

振付けのポイントは、とにかく突貫での振り付けのため、久高萬寿主節については、シンプルにダイナミックに。地元の青年会の踊りを意識した迫力ある演舞に仕上げました。
なお、パーシャクラブさんの歌う久高萬寿主節は、「仲順流り」がメドレーとしてありましたが、時間の関係上「久高萬寿主節」のみを振付け。

そして繁盛節〜崎枝節は歌詞の意味にそって、農耕儀礼の面影を色濃く残す八重山舞踊「マミドーマ」の一部の動きを振付けに組み込みました。
この時から、歌詞の意味にそって振付けする方法が生まれました。

その後この2曲はそれぞれ2002年に繁盛節〜崎枝節が、2003年に「久高萬寿主節」がリメイクされ、鼓舞楽団浦風で現在も踊られています。
※久高萬寿主節については、現在主宰している「創作芸能集団MIIKAJI」でも、2006年にリメイクして踊っています。
リメイクについてはあらためて書きたいと思います。
※演舞動画があればよかったのですが、、高校時代に振り付けた演舞は、、忘れてしまいましたwwww

それでは!! またやーさい!!

(2021年5月11日 加筆修正)

 

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