見出し画像

【自己紹介】10年勤務した航空機メーカーを退職し、スタートアップを始めた話

自己紹介

はじめまして。株式会社UPWIND 代表取締役の「みいや」です。
初投稿ということで、自己紹介を兼ねてこれまでのこと、今後の方針を雑多に書いていこうかと。

私は現在、岐阜県各務原市で会社(株式会社UPWIND)を立ち上げ、主に業務用のフライトシミュレータ開発に取り組んでいる。Twitter(X)で知っている人も居るかもしれない。というか、そちらから来た人が大半だと思う。
自分は典型的な技術オタクで自己開示は不得意なのだが、経営者となるとそうも言っていられなくなるので、こちらではもう少し、自分のこと、事業のことを知ってもらう努力をしようと思う。
本業がかなり忙しいので、更新頻度はかなり低くなることが予想される。またブログに関しては三日坊主の常習犯なので、今回もいつまで続けられるか分からないが、お付き合いいただければ幸いである。


経歴

学生時代から

小学校の作文ではパイロットになりたいと書いていた気がするが、中学~高校生ぐらいの頃には、航空技術者になりたいと考えるようになっていた。きっかけは、小学校6年生の頃に父親から渡された古い小説、柳田邦夫の「零式戦闘機」に描かれていた堀越二郎を中心とする戦闘機開発チームの話だったと思う。

※アフィリンクではありません

ものづくりは昔から好きで、高校時代は勉強そっちのけで学校祭の出し物の製作等に没頭し、現役時代の大学受験はほぼ全落ち。
一浪して名古屋大学の機械・航空工学科に進学、しかし成績が振るわず、2年次の進路振り分けで航空学科に行けず電子機械コースに配属される。当時はかなり落ち込んだが、今振り返ればここで電子回路や制御工学、ソフトウェアの基礎を勉強できたことが、現在のスキルに大きく貢献している。
その後、色々あってもう1年の空白期間を経て東京大学の大学院、航空宇宙工学専攻に進学し、空力関係の研究で修士号を取得した。研究とは別に、学生飛行ロボットコンテストの機体製作に没頭し、機体や自動操縦用コントローラの自作を通じて機械、電気電子、ソフトの設計の技術を高めていた。
研究室の担当教官からは博士後期課程への進学を勧められ、迷うところもあったが、合計2年の浪人もあって26歳に達していたこともあり、就職することにした。

会社員時代

2013年に大学院を卒業し、とある重工メーカーに就職して技術者として航空機のシステムに関する研究開発に従事していた。操縦や油圧といったシステム設計がメインで、特定機種の開発というよりは基礎研究や物理解析が主な業務。色々あったが、実に多くの経験を積ませてもらった。
一方で、勤務先は極めて保守的なJTCであった。会社の名誉のために言っておくと、前職は決して、いわゆるブラック企業ではない。賃金や休暇等の待遇は悪くなく、人間関係も良好であった。
しかしながら、仕事のやり方は非効率を極め、技術や研究の本質から離れた資料の些末な手直しなど、心底どうでもいい事に時間と労力を延々と費やす、そういう日々が続いていた。少なくとも、この会社で管理職になり、当時の自分が受けていたような指示を後輩にする未来は、自分には描けなかった。

起業

現在行っているフライトシミュレータの製作は、元々趣味から入ったもので、最初は兼業の個人事業主として、いわゆる週末起業の業態で3年前から会社員の空き時間を利用して少しずつ進めていった。事業化のきっかけは当時住んでいた六畳の社員寮では製作スペースが足りず、別で場所を借りる必要があったからで、たまたま家の近所で手頃な賃料の物件があったので、そこを訓練施設を兼ねた研究開発拠点として事業化するアイデアを思い付いたのだ。ここが現在、株式会社UPWINDの本店所在地である。事務所開業資金の調達のためにクラファンを行ったところ、業界の有名人を含む多くの方々に支援を頂いた。大感謝。

※クラファンは2020年に終了しています。ご支援ありがとうございました。

掘っ立て小屋と言ってくれるな、本社ビルなのだ。


事業開始後に試作品や製作過程をSNSにアップしたところ思いのほか反響があり、教育機関や事業者から製作の問い合わせを受けるようになった。
その後、セントレアホテルへのエンターテイメント用フライトシミュレータの納入、岐阜工業高校への教育用シミュレータの納入と受注実績を重ねていった。2022年にはNEDOのスタートアップ支援事業に採択され、飛行訓練装置(FTDレベル3)の国土交通省の認定を取得する所まで進めることができた。この時点で個人事業主としての収入が会社の給料を大きく上回る一方、兼業での業務量は限界を迎え、1日の睡眠時間が4時間を切ることが常態化していた。
そして2023年に法人を設立、10年余り勤務した前職を2023年9月末をもって正式に退職し、ベンチャー企業の代表取締役として新たなスタートを切ることになる。現在に至るまでのフライトシミュレータ開発の話も今後書いていこうと思う。

個人製作で認定を取ったシミュレータはおそらく全国初

パイロットとして

飛行機の操縦には、もともと興味があった。学生時代はグライダー部に所属していたが、ゴリゴリの体育会系の雰囲気が性に合わず、ライセンスの取得までは至っていなかった。
社会人になって資金にも多少余裕が出てきたこともあって、2014年にアメリカに渡り、ロサンゼルス近郊で飛行機の自家用ライセンス訓練を開始した。お盆、正月、ゴールデンウイークと1年間の長期休暇を費やし、FAA(アメリカの連邦航空局)の自家用操縦士ライセンスを取得した。その後、JCAB(日本の航空局)のライセンスへの書き換えを行い、県営名古屋空港を拠点とするフライトクラブに入会、この記事を書いている時点で200時間程度の飛行時間を保有している。
開発者自身が実機パイロットであることは、シミュレータを開発する上で大きなメリットであることは言うまでもない。計器飛行証明、多発、回転翼等も将来は目指したいものである。

名古屋空港でセスナ172を飛ばしています

何を書くか

noteでは、Twitter(X)では文字数の関係で書ききれない、読者にとってある程度有益な記事を書きたいと思う。具体的には、以下の内容を考えている。

日本の航空業界について思うこと

大学院の航空工学専攻、前職の航空機メーカーや防衛関連、今の事業や趣味でジェネアビやエアラインの運航者と関わり、ある程度広い視野、長いスパンで国内の航空業界を見てきた。その中で色々な人と関わり、日本の航空業界の展望、課題が見えてきたので、それらについて適当に書いていきたいと思う。
大半は思ったことを書くだけの雑多な内容になると思うが、航空業界への就職、転職を考えている人や、進学先の学部選びで迷っている人向けには、多少なりとも得るものがあれば幸いである。

自家用パイロットの日常

日本にも自家用パイロットは私を含めて一定数存在し、休日にフライトクラブ等で飛行を楽しんでいる。しかしながら、日本のジェネアビ業界は閉鎖的で、業界の外から見えにくくなっている。全体的に年齢層が高くSNS等で積極的に情報を発信する人が少ない、「目立って何か言われたら面倒」と考える人が多い、という面があると思う。これまでの自分も他人の事は言えないが。
しかしながら、存在が認知されていなければ潜在的に興味を持っている人が参入することもなく、大きな機会損失となる。オシュコシュのエアショーのようなイベントが日本で開催されるくらいが理想だが、まずはこのnoteやYouTubeに日常のフライトの記録を発信し、見た人が関係者に連絡できる程度の環境を作っていければ良いと思う。

EAA AirVenture Oshkosh この規模のイベントを国内で開催できるくらいの認知度が理想である

家庭でフラシムを楽しむためのTips

これまでに個人事業主時代から多くのフライトシミュレータを構築してきて、ノウハウの蓄積が進んできた。特に、やり直しが難しい初期投資となる環境構築、PCやコントローラ、モニタの選定に関しては、個人で楽しむための環境として費用対効果を最大化するために有用なTipsを配信できると考えている。
こちらに関しては本業でもあるので、一部は有料記事とすることをご理解いただきたい。もちろん値段以上の価値を提供できるように努力するつもりである。

最後に

長くなってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました!今後ともUPWINDと社長みいやをよろしくお願いします。

この記事が参加している募集

自己紹介

退職エントリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?