フィンランド母子研究留学 決意編

私が留学に漠然としたあこがれを抱いたのはいつからだっただろうか。

私の通った中学には、希望者が夏季休暇中にニュージーランドに短期留学できるというシステムがあった。小心者だった私は、とても希望なんかできなかったが、いいなあという本音が隠れていたと思う。

大学在籍中は、当たり前のように語学留学に行く同級生に刺激されて、ロンドンの語学学校に1ヶ月ほど通った。国際色豊かなクラスで、イタリア、アルゼンチン、ラトビア、イスラエル、スイス、サウジアラビア、韓国、台湾のクラスメイトに出会った。年齢層も20代から60代までと幅広かった。自分の将来について語る授業で、私は自分についてうまく語れなかったことを覚えている。私はハロッズでアパレル店員をすることが夢ですと語る、イタリア人クラスメイトが眩しかった。ミュージックセラピストになりたいと話し、その後、実際にアメリカの大学に留学した台湾の友だちが羨ましかった。

台湾の友達と帰国前に、オックスフォードを旅した。オックスフォードは美しい学園都市で、街全体で学問を内包し、讃えているように感じた。いいなあ、こんな場所で学びたい。

大学院在籍中に、私は目標にしていた国際学会で口演発表をするために再びロンドンに来た。大規模な国際学会で、多様な国から豊富な種類の演題が集まっていた。若い女性研究者が目につき、ベビーカーを押しながら参加する研究者夫婦もいた。

娘の妊娠が分かったとき、喜びと驚きが渦巻く中で感じざるを得なかった。ああ、もう私は留学する人生ではなくなった、と。

マタ二ティーブルーの中で一筋の光が差したのは、日本学術振興会の海外特別研究員RRAの募集を見つけた時だった。出産、育児、介護等を理由に研究を中断したことがあるものを対象とする奨励金で、実際の採択者である女性研究者の経歴を眺めた。そこで初めて世の中には子連れで留学する女性研究者がいることを知った。

仕事がひと段落ついた職場で、パソコン画面を見つめながら、思わず後輩に話しかけた。
「私、子供を連れてでも留学したい…かもしれない」

後輩はとびきりの笑顔で答えてくれた。
「いいですね! 先生なら絶対できますよ」

私の気持ちに火がついた。私にもできるかもしれない。留学ができないことを娘のせいにしたくない。母子海外留学をしてやる。

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