見出し画像

離れて暮らす親の介護をどうするか問題(4)〜父の病気、進行性核上性麻痺(PSP)〜

そもそも、父に最初の症状が出たのは3年ほど前だったらしい。歩きづらさと嚥下の問題。それがだんだん進行し、私が2022年に帰省した時には、とにかく体が硬化している感じだった。顔も例外ではなく、表情が乏しく、笑わない。たぶん顔の筋肉が動かせなくなってきていたのだと思う。無関心、無表情に見えるし、鬱も考えた。そしてすぐ目を閉じてしまう。たとえ食事中でも。食事中は目をつぶったまま咀嚼していることが常だった。手も動かしづらいのか、醤油やドレッシングなどに一度手を伸ばすと、そのままボトルを離さない。元々口数の少ない父は、どんどん話さなくなり、何か言うのも一言「醤油」だの「リモコン」だの言うだけで、母は父といても全く会話にならないとこぼしていた。

パーキンソン病という診断が出た後、専門の病院に移ることになり、その際に父は2週間ほど検査入院をした。その時の検査で、父の症状はパーキンソン症候群の進行性核上性麻痺(PSP)だと初めてわかった。そうは言っても、父はあまりわかっていない様子だし、あまり自分の病気のことを知ろうとはしない。そもそも、パーキンソン病は治療方法のない難病だし、あまり現実を知りたくなかったのかもしれない。私たち家族も、実のところPSPのことをよくわかっていなかった。パーキンソン病だって、耳にしたことはあるけれど、具体的にどういうことなのかわかっていなかったし。でも、その診断から1年ほどたってみて、この病気の進行度が凄まじく速いのだということは理解できた。去年の夏に帰省した時は、まだ自立できていた父が、この冬あたりから母の介助なしには何もできなくなり、年明けには母も倒れるんじゃないかというレベルの介助が必要になってしまったのだから。パーキンソン病は、薬と運動を継続していくことで、10年でも病気と付き合っていくこともできると聞くものの、PSPは寝たきりになるまでに3〜5年というケースが多いらしい。

PSPの特徴的な症状には目に関連するものがあった。中でも、「目を開けることが難しい」「自動的に目を閉じてしまう」「目を閉じた後に再度目を開けることが難しい」というのはまさしく父の症状だった。ほかにも、視力の変化、曇りや二重視、前方の物体に焦点を合わせることができない、などもあったのかもしれない。父は時代小説好きでよく本を読んでいたのに、本を全く読まなくなっていた。「目が見えない」としか言わなかったけれど、この病気の症状だったのかもしれない。

おそらく、父の介護度判定にはこの病気が考慮されているのだと思う。病気は進んでいくし、その速度は速い。寝たきりで施設に入っていた祖母の介護度は5だったけれど、いずれそうなると見越してついた「要介護5」なのかなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?