マナベミカ

アメリカで暮らす多国籍家族の日常をゆるーく。小学生の息子が二人。夫も私もアメリカでは外…

マナベミカ

アメリカで暮らす多国籍家族の日常をゆるーく。小学生の息子が二人。夫も私もアメリカでは外国人、というか移民。インプット大好き、アウトプット苦手。

最近の記事

土曜日の日本語学校をいつまで続けるのか……

アメリカで育つわが家の子どもたち。幸いにして、日本語学校があるエリアなので3歳の時から土曜日は毎週日本語学校に通っている。思えば、幼稚園の3年間はよかった。毎週、先生方が工夫を凝らした活動をしてくれて、日本の季節の行事も(すごい力の入れようで)教えてくれる。朝から午後まで4時間以上預かってくれるので、親もその間に時間ができて、ヨガに行ったり夫とブランチデートしたり仕事したり。杵と臼を使った餅つきとか、月見団子作りとか、私は絶対にしないようなことをたくさんしてくれて、もう本当に

    • 離れて暮らす親の介護をどうするか問題(6)〜療養型病院探し〜

      現在、父が入院している病院は普通の病院で、検査のための入院だった。しかし、肺炎も治った今、いつまでもそこにい続けるわけにはいかず、転院先を探さなければならない。PSPは治る病気ではないので、進行していく症状に対応しつつ、寝たきりにならないようリハビリをしてくれる病院は療養型と呼ばれるらしく、現在の病院から3カ所ほど紹介してもらった。多少の違いはあるものの、どこも看取りまでをしてくれるらしい。おそらく、もう自宅に戻ることはできない。それを父がどこまで理解しているのかわからない。

      • 歳をとるってこういうことか!ーー中年女性の健康事情

        幸い健康体で、めったに体調を崩すこともなく、むしろ体力や自分の健康度には自信があった私。子どもたちが保育園や学校でしょっちゅう何かのウイルスをもらってきてしまっても、必ずうつってしまう夫を横目に、自分はいつも無事。健康に恵まれた体質なんだと思っていた。 ところが、この1、2年でその自信を揺らがされるようなことが立て続けに。帯状疱疹になってみたり、コロナに初罹患したり、脳ドックでD判定をもらったり……。たぶん更年期障害なんじゃないかという症状も経験。幸いなことに体調を崩すこと

        • 離れて暮らす親の介護をどうするか問題(5)〜口からものを食べることができなくなった父〜

          父は、甘いものに目がない人だった。こってりしたものとかも大好き。ソース系はなんでもドバッとかけるし、なんなら千切りキャベツにはソースとマヨネーズ両方かけていた。よく母に「そんなものばかり食べていると病気になるわよ!」と言われていたのだけど、その度に「俺は好きな物を食べて死ぬんだ」と言い返す。父は、若いうちに実父を亡くしていて、さらには二人いた男兄弟も共に若いうちに亡くなった。そんなこともあり、「男が短命な家系なんだ」と本気で思い込んでいた節がある。ちなみに3人とも事故などで亡

        土曜日の日本語学校をいつまで続けるのか……

          ちょっとした時間に何をすることを選ぶか

          やりたいことはたくさんあるのに消化できずに日々が過ぎていく……ので、自分の時間の使い方をちょっと整理してみる。大きいまとまりの時間が必ず消えていく項目としては、最低7時間の睡眠、仕事及び通勤、最低限の家事(ご飯作り、洗い物、お弁当、最小限の片付けと掃除、洗濯など)、子どもの習い事の送迎……といったところ。 で、ここに入れ込んでいきたい項目。 (a) 今参加している講座の勉強 (b) ランニングとストレッチ(週2回) (c) ヨガ(週2回スタジオへ、行かない日は家で) (d

          ちょっとした時間に何をすることを選ぶか

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(4)〜父の病気、進行性核上性麻痺(PSP)〜

          そもそも、父に最初の症状が出たのは3年ほど前だったらしい。歩きづらさと嚥下の問題。それがだんだん進行し、私が2022年に帰省した時には、とにかく体が硬化している感じだった。顔も例外ではなく、表情が乏しく、笑わない。たぶん顔の筋肉が動かせなくなってきていたのだと思う。無関心、無表情に見えるし、鬱も考えた。そしてすぐ目を閉じてしまう。たとえ食事中でも。食事中は目をつぶったまま咀嚼していることが常だった。手も動かしづらいのか、醤油やドレッシングなどに一度手を伸ばすと、そのままボトル

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(4)〜父の病気、進行性核上性麻痺(PSP)〜

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(3)〜父の要介護認定〜

          日々の生活すべてに介助が必要になってしまった父を、高齢の母親が一人で見ることには無理があったので、介護度の再判定をしてもらうことになった。父の前回の認定は「要支援1」で、この認定では介護保険で利用できるサービスはごく限られている。パーキンソンはゆっくり進行していくものだから、との理由で次の介護度認定はずいぶん先に設定されていた。しかし、どう見ても「要支援1」の状況には見えないし、訪問介護や入浴サービスなどが必要な状況だった。この流れで、ケアマネさんが変わることになり、認定をし

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(3)〜父の要介護認定〜

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(2)〜コロナ禍の一時帰国中断中に起こった父の変化〜

          私たち家族は、隔年で夏休みに長期滞在する形で帰国していたのだけれど、コロナの流行と同時にしばらく一時帰国できない状況になった。帰国予定だった2020年の旅行はもちろんキャンセル。その後なかなか帰れず、やっと一時帰国できたのは2022年、前回の2018年から4年も経ってしまっていた。父の様子が何かおかしい、とは母から聞いていた。とはいえ、年齢が年齢だし、年をとったということだろう、と母を含めみんながそう思っていた。でも、4年ぶりに会う父が以前とあまりに違っていてびっくりした。

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(2)〜コロナ禍の一時帰国中断中に起こった父の変化〜

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(1)

          ついに親の介護のことを真剣に考えなければならなくなった。 今年80歳になる父が難病を患い、日々の生活全てに介助が必要になった。そもそも椅子から一人で立ち上がることができないので、トイレに行くのに常に人の手が必要。トイレまで行けても、便座に腰を下ろす、パンツを下げる、などが自分ではできない。歯磨きや入れ歯の管理も自分でできない(ちゃんとできていないので介護者が手を貸さないと清潔を保てない)。入浴ももちろん無理。食事は嚥下が難しいため、とろみのあるものでないとむせてしまう。こう

          離れて暮らす親の介護をどうするか問題(1)

          夫に対するイライラが減って、毎日心穏やかに過ごせるようになった。 ……のはなぜか?

          以前は、しょっちゅうイライラしていた。コロナ中はそのピークで、イライラはフツフツとした静かな怒りになり、何度かそれが爆発した。 「どうして言わないと家事をしてくれないの」 「どうして言われたことしかしないの。私がいつもしていることなんだからひとつひとつ指示しなくもわかるでしょ」 「どうして子どもの相手をせずにテレビ(またはスマホ)を見ているの」 「私が仕事の目処をつけ、子どもの話を聞いてやり、なんとかご飯の時間に間に合うよう家事を済ませ、今慌ててご飯の準備をしているのに……

          夫に対するイライラが減って、毎日心穏やかに過ごせるようになった。 ……のはなぜか?

          Snow dayの過ごし方

          アメリカに来て最初びっくりしたのがこのSnow day。雪が降ると学校が休みになる。政府機関も閉まったりする。そして、親になって子どもが学校に通うようになってみたら、アメリカの公立校はむちゃくちゃ簡単に休校になったり、登校時間が遅れたり(delayed opening)、下校時間が早まったり (early dismissal)することがわかった。それこそ、予報で雪が降る「らしい」から明日は休校にしまーす、と前夜に連絡が来て、当日は雪が降りもしない、とかあるある。たとえ本当に雪

          Snow dayの過ごし方

          アメリカでのお金へのアプローチ(老後資金の積み立て・FI・マネーリテラシーと子どもの教育などなど)

          2023年はけっこうファイナンス系、マネーリテラシー系の本を読んだ。この分野の本を読んでいるとよく聞く "Latte factor"も、オリジナルを読了(ビジネス書かと思ったら小説だった!)。私が読んだ十数冊では、FI (= Financial Independence)を確立して仕事に縛られない自由な人生を手に入れよう、という主張のものが多かった。「20代〜30代前半で超切り詰めた生活をし、30代半ばには早々にリタイア生活に入る」というミレニアム世代のFIREブームがひと段

          アメリカでのお金へのアプローチ(老後資金の積み立て・FI・マネーリテラシーと子どもの教育などなど)

          子どもの「好き!」を見るのはうれしい

          小さい頃は、くるくる変わる表情や、幼く拙い動きとか、小さきものとしての存在自体が可愛いと感じることが多かった。でも今は、自分の身の回りのことは自分でほぼなんでもできる小学生。好き嫌いや得意不得意もはっきりしてきた。そんな中、子どもたちがそれぞれで何かをみつけて、それを楽しいと思い、「これ、好き!」と夢中になっている姿を見るのはとても幸せを感じる瞬間。 サッカーに夢中になる姿。 お絵描きに没頭している真剣な顔。 プレイデートに来たお友達と大笑いしながら遊んでいる声が聞こえ

          子どもの「好き!」を見るのはうれしい

          余命3年と言われたら何をする?

          いつもこれを念頭に、意図をもって戦略的に生きていきたい。中年になってやっと時間の大切さがわかるようになった。ぼーっとしていると、時間はなんとなく過ぎていってしまい、「そのうちやろう」「いつかやりたい」は実現することがない。特に、子どもが小さいうちに作りたい子ども時代の思い出は、〇才の時にこれ、○才までにはこれをやる、というぐらい考えておかないと、タイミングを逃してしまう。子どもの興味の移り変わりは速いし、手がかからなくなる頃から親離れしていくまでの間は10年もない。そして、晩

          余命3年と言われたら何をする?

          今のうちに家族でしておきたかったこと

          家族でしたいことは色々あるけれど、そのうちのひとつがスキー。私も夫も、すごくうまいわけじゃないけど、雪山を楽しめる程度には滑れる。どちらも、子どもの頃に親が毎年連れて行ってくれていたから。スキーなんてできなくても生きていくのに一切支障はないけれど、楽しいことは多い方がいいよね、ってことで自分の子どもにもその機会をあげたかった。そして、こういう体で覚える系は早いに越したことはないから、幼児期を過ぎたら始めたいなと思っていた。それに、家族でスキーを楽しむのなら親の体力的・身体的な

          今のうちに家族でしておきたかったこと

          パートナーシップ

          この1年くらい、夫との関係がようやく改善してきた。 昨年くらいから子どもの学校関連で急にやることが増え、日々のタスクの中で溺れそうになっていた私は、夫に切々と訴えた。子どものことと家のことをもっとやってほしい、私はもうこれ以上できない、と。そういう訴えをしたのはこの時が初めてではなかったけれど、なぜかこの後から彼は確実に変化した。 私が子どもの宿題や勉強を見ている間、夫は自分のやる当然のタスクとして夕飯の準備をしてくれるようになった。彼の作れそうなメニューを考え、材料の買

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