見出し画像

とげとげしたところのない、芯がある人

思うところとご縁があって、美術館のボランティアをやることになった。
今は研修中で、毎月様々な専門の方の様々なお話を座学で聞いたりしている。

研修の話はまだ咀嚼できていない部分も多いので別の機会にするとして、今日は、私達ボランティアの窓口となって下さっている女性のことを書きたい。


彼女は、とげとげしたところがない。いつも笑顔。

彼女は、人の話をよく聞いてまとめるのが上手い。(ファシリテート力が高くて真似したい)

彼女は、求められた時には自分の意見や考えを短い言葉で的確に話す。話が分かりやすくて引き込まれて共感できる。そして言葉づかいが丁寧。

彼女の声は、聴いていて心地良い。決して早口にならず、聴きやすいスピードで話す。

彼女が本気で怒ったときは(まだ見たことはないしこれからも見る機会はないかもしれないが)確実に私が100%悪くて平謝りするのだと思う。


少し話が逸れるが、私は新卒からずっと「販売・営業」という、数字を求められる仕事をしてきた。数字を求めるには厳しさが必要だと思っていたけれど、少し前からそれは違うと思うようになった。厳しさは引き出しの一つでしかなくて必須ではない。そして厳しさしか持っていない人は能力のない人、というか貧しい人だと思うようになった。
スタッフの良いところを引き出して、良い面を伸ばせば自ずと数字も伸びる。いろんな引き出しを持っていて、状況に合った力を提供出来る方が良い。

でも今日、彼女が話すのを聞いていて、ふと、それもまた少し違うと思った。
数字(≒売上・利益)を目標にするのは正しいのか?数字の一つ前に本質があるんじゃないか?
これを考えたところで結局やることは同じかもしれないけれど、「数字の一つ前」、つまり「お客様にほしいと思ってもらうこと」「このサービスがあってよかったと思ってもらうこと」を目標にすることで、「棘(とげ)」がなくなる気がする。

「数字の一つ前」が甘い商売は、結局ごり押し(お客さんの人の良さにつけ込む)や販売員の「口のうまさ」、商品の「お化粧の上手さ」みたいなもので数字を上積みしなければならない。
「数字の一つ前」が魅力的な商売は、そんなことをしなくても勝手に数字が生まれていく。

話を戻そう。
彼女が人として魅力的なのは、問い続けているからではないかと思う。
美術館は「本質は何か?」を問われ続ける存在だ。興味のない人には存在しないことと同じ。興味のある人にとっても、作品に感じる価値は人によって違う。分かりやすい数字はせいぜい来館者数や所蔵作品数で、でもきっと来館者数を伸ばすことと、美術館を良くすること・美術館が『良く』存在することはイコールではない。どこに判断軸を置くのかが難しい。


答えが出ない問い・本質に向き合い続けているからこその、しなやかさと芯の強さ。彼女からはそういうことを感じる。

仕事の本質は「お客様に選ばれること」だろう。媚びて選ばれるのではなく、対等の立場で選ばれること。世の中のあらゆるサービスと並んだときに「これ」と言ってもらえること。そのために何をするか。

彼女のように、とげとげしたところのない、芯の強い人になりたい、と思う。試しにしばらく、こういう視点で自分の仕事を考えてみようと思う。

いただいたサポートはココロの栄養補給に充てさせていただきます。ココロを栄養満タンにして楽しいnoteをUPします。