【7】2011.3.16以降

実際のブログは3月末まで続いているが手元にデータがあるのはここまで。この直後に、種市~久慈~野田~普代~田野畑~宮古と沿岸を通り、宮古市の避難所に行った。家を流されたいとこに会うためだ。家族は避難所にいて、いとこは病院で勤務していた。避難所へ行くまでに見た眺めは生涯忘れないと思う。写真に残した。それに意味があるかどうかは分からない。でも忘れないために残した。いとこは明るく迎えてくれた。それが救いだった。

私の場合は、近い血縁は無事だった。ただし、本当にぎりぎりだった。叔父やいとこは直前まで海にいた。その叔父は海の近くに住んでいるのだが、その家の居間から見える家はすべて流されていた。

震災から3年後だったと思うが大船渡に行った。泊まったホテルの周辺は多くが流されていて、3年過ぎても、まだ何もないに近い状態だった。コンビニが見えていて歩いて行こうとしたのだが街灯がない。まっくらやみで怖くて行けなかった。海が見えるホテルだった。複雑な気持ちで眠った。2017年再び大船渡に行ったら多くの建物があり、かなり様子が変わっていた。少し安心した。まだまだ完全ではないだろうけれど、それでも安心した。

あれから9年になる。

犬は震災後数年は地震に対して過敏だった。悲鳴のような声で鳴いた。その犬も今はいない。道路は整備されて建物がたった地域は多い。しかし甚大な被害を受けた地域を訪れると、まだ爪痕は大きく残っている。何も終わっていないと感じる。

それぞれの3.11

2015年ごろだったと思うが、震災についてのインタビューを文字に起こす仕事をした。文字起こしと校正。私がいままでかかわった仕事の中でもっとも価値がある仕事だったと思っている。

膨大な体験談を1つずつ記事にした。お年寄りの中には複数回大きな津波を経験していて、過去の津波について言及しているものもあった。いろんな人のいろんな考え・気持ちを知った。精神的にも物理的にも過酷な仕事だったけれど、関われてよかったと思っている。ろくでもないものについては、私の判断でアウトとした内容もある。そこで見聞きしたものは、死ぬまで誰にも話さない。墓場まで持っていく。

一番つらかったのが「同じ出来事を多くの人が目撃している」というもの。ある人が津波に流される様子を、別の場所にいた複数の人が語る。これは、まとめているうちに、あるときいきなり「立体的に」頭の中に映像が出来上がることがあった。追体験に近いような悪夢を何度も見た。それでもあの仕事をした意味は大きい。小さなボランティアはいくつか参加した。でもずっと「何もできなかった」と思っていた。それが、この仕事をして、やっと消えたように感じる。

居住地も勤務先がある場所も津波の被害自体はあったが、死者数自体は少ない。ガソリン不足や食料不足には困ったし停電も数日続いたが致命的なダメージを受けたというかというと少し違う。沿岸地域に住んでいた親戚たちのほうが状況は過酷だった。これは、そういう私が経験した「3.11」。当時から今に至るまで、自分自身の経験はたいしたことがないと思っている。余震を経験しすぎて地震に驚かなくなったという程度。

配偶者は、ライフラインにかかわる仕事をしているため激務だった。私は、仕事とライフラインは関わらないが、停電・計画停電の余波で激務だった。24時間働いた日もある。すっかり嫌になった。震災後に当時の勤務先は退職した。10年同じ会社にいたが、このままここで一生過ごすより新しい世界を見たくなったのもある。その後に働いた会社での出会いによりライブハウスに通うようになった。そこに関わるひとびとが震災後にいろいろな活動をしていたことも、あとから知った。残念ながら複数回転職することになってしまったが、それでも当時の会社を退職したのは正解だったと思っている。そうしなければライブハウスにかかわることもなかったと思うから。

終わりに

当時の日記には多少感傷的な表現もあったので、そこは削除した。前の記事にも出てきた言葉だがディザスターシンドロームという言葉がある。私も、そうだったのかもしれない。しかし当時「誰も死んでほしくない」「これ以上被害が出てほしくない」と思ったのも事実。そういったことが、毎日のように日記のどこかにあった。

別なブログには、個人的な情報ではなくて、詳細な推移などを残したものもあった。とにかく何かしていなければ落ち着かなかったのだろう。

9年が過ぎても未だ忘れることはない。

今でも、死者を悼む気持ちは変わらない。被害にあった人々が少しでも穏やかに過ごせるように願っている。また、もう二度とあんな日々が来ないことを願っている。

新型コロナウイルスの流行により現在世間は騒がしい。3.11とは違い、目には見えず地域も限定されていないためか、また世の中が不穏になっている。そういう日々が早く収束すればいいと願わずにはいられない。


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