53話感想

──意地vs屈折

幾らか膠着は解けてきたかに見える。

『今はただの客人です』

秘めた熱情と裏腹に、乾いた虚言を吐く。連は今のところ、 “古巣の元上司と元部下” 以上の認識はなさそうだが、綱川の締めつけが次第に強まっているのは薄々感じる。

『よく言うな』

百目鬼は初めて自嘲を滲ませた。たった一言でも、鬱積を知れたのは大きい。併せて今回は、矢代が眠る間の顛末も明らかにされている。

伏した寝姿は、一見すると嫋やかだ。枕を当てがい、腰から下はきちんと布団が掛かる。この随所に覗く労りこそが、百目鬼の真価なのだろう。

放心の最中さなか、矢代の携帯が鳴った。相手は七原、山川の居所を報せるものだった。ひと通り用件を聞き、最後にふと訊ねる。

『矢代さんは、どこか悪いんですか』

やはり異変には気づいていた。疑う余地もないが、最初の違和感は綱川邸での入浴時だろう。上がるまで待機したのもそのため、結果それが、百目鬼の怒りの発端ともなったのだ。

七原は一瞬言葉に詰まるも、詰るように突き放す。

『てめぇには関係ねぇ』

『立場を弁えろ』

返答こそけんもほろろだが、あれでは認めたも同然だ。真っ正直な性格と面倒見の良さが邪魔をして、きっぱりと否定出来なかったのだろう。そうした人情味には好感を持つが、嘘が下手な点では百目鬼以上に損をしているかも知れない。

淡い回想はここまで。場面変わって前話の続きだ。少し遅れて矢代が車に乗り込む。風貌を目にし、百目鬼は開口一番諌めた。

『その髪で行くつもりですか?』

ヤクザに見えないというのがその理由だが、確かに洗いざらしの髪は、だらしないというより “高校生くらいにしか見えない” 。(劇場版DVD特典漫画より)それを受けて曰く

『今はヤクザねぇからいいんだよ。“お前と違って”』

だそうだ。どうしても一言多いが、心情は分からなくもない。矢代は矢代で望まない結果に嘆き、嫌みのひとつも言いたくなるのだろう。親心か愛着か、はたまた芽吹いた恋慕か。いずれにせよ後に出てくる独白に、その答えがありそうだ。

『俺以外の前では止めた方がいい』

簡潔に言えば独占欲、細かく推察すれば、迂闊に素を晒さないで欲しい、付け入る隙を与えないで欲しい、事後を匂わせるようでいたたまれない……などなど。言葉少ななだけに、すべからく想像でしかないのだが……

息詰まる性交ではあったが、それでも矢代はある程度満たされ、多少は閉塞感も和らいだか。問いかける口調にも、一片の気安さが漂う。

『井波以外の奴とヤんのも怒んのな』

対する百目鬼の口は、相変わらず重い。

『怒りますね』

『腹が立つのに理由がいりますか?』

警戒、或いは臆病からくる虚勢。過去の苦い傷痕が、今も癒えずにいるのだろう。矢代とは反対に、却って迷宮に入り込んでしまったようだ。

とは言え、端々に互いの本音を折り混ぜ、対話らしい対話が成り立つなら、例え手荒な “性処理” でも肉体を交えた意味はあったと思いたい。

──俺しかいらなくなるように

 “呪い” を自覚し、昔の百目鬼を求める。(皮肉にも今は、矢代の知らぬ間にしか表れないが……)暗示に囚われたまま、朴訥とした優しさ、温もりに縋っていたのはむしろ矢代の方だ。以前の感想(51話)でもその可能性に触れたが、それをようやく明確に語ってくれた。片や百目鬼は、怒りを怒りと素直に認める。それだけでも彼らには決して小さくない進歩だ。

──腹が立ってんだな……“男が好きな俺に”

つくづく好意に鈍感と言わざるを得ない。単に男が好きだから……だけで、あれほどの執念は生まれるだろうか。止まない破滅型のセックス、誰彼構わず放つ媚態、願っても叶わない失意、不甲斐ない自分への責め苦……百目鬼は混沌とした苛立ちの只中だ。(いっそ逢わなければ、心を掻き乱されることもなかっただろうが……)遠からず矢代の呪縛を知った時、抱える負の連鎖が正に転じると信じたい。

さて、目的地に来た二人。合流するなり七原もまた、風貌の違いに切り込む。敢えて『寝起き』という表現に止めたのは、彼なりの慎みか。

矢代は当意即妙に受け流し、席に着いてからも終始滑らかな談話を交える。このあたりはさすがに昔のよしみだろう。ただひとつ惜しいのは、最大の功労者である杉本がいないことだ。必要以上の介入を避けたか、金儲けで手一杯か、その背景は不明である。

状況を掴むと、百目鬼は逸るように席を立った。

『大丈夫です。一人で行きます』

『逃がしません』

自信の裏付けは恐らく、桜一家を背負しょった使命感だろう。ここでも七原は、持ち前の苦労性を発揮する。

『ターミネーターじゃあるまいしよ』

渾身のツッコミを誰一人拾わない。かえすがえすも、杉本の不在が残念でならない。

『おーい。何かそれらしきのが来てるぞ』

前のめりな百目鬼を、矢代はそれとなく引き留めた。視線の先には、標的とおぼしき二人組。先刻取り逃がした男と、そして無頼の筆頭、甲斐だ。事態は慌ただしく動いた。

早速七原から画像を受け取り、矢代がテーブルを離れる。

『ちょっとションベン』

もはや様式美と言っていい。隠密行動を起こす際の合図だ。井波に画像を送り、情報提供を依頼する。もちろん悪名高き刑事のこと、ただで従う筈もなく、案の定下卑た取引を持ちかける。多少の躊躇がありつつ、応じようとする矢代。そこへすかさず、百目鬼の横やりが入った。

『俺が行く』

声を聴くや否や、井波は不気味な喜色を浮かべる。一度は旨みがないと断るも、何らかの企みはあっただろう。唐突に百目鬼への興味を示し、あろうことか猥褻動画の所持を仄めかす。

『保険で隠し撮り──』

『困ってたんだ。助けてくれよ』

敵もさるもの、脅したかと思えば泣き落としだ。巧妙なようでいかにも眉唾、対象を誘き寄せるための芝居かも知れない。が、逆上しているであろう百目鬼に、真偽を問う余裕はなかった。まんまと口車に乗せられ、ひとり井波の元へ向かう。個人的にはこれが、百目鬼の危うさだと思っている。

矢代のこととなると見境を失くす。動画が存在すれば(或いは目の当たりにすれば)井波を殺めかねず、逆に罠だったとしたら身動きを封じられる恐れがあるのだ。

訳も告げない百目鬼に対し、矢代は悉く憎まれ口を叩く。一方の七原はさほど悲観はしていなかった。百目鬼の心根が昔と変わっていないのを察したからだ。地獄に仏……とは、まさにこのことである。

無防備に語らう二人は、不穏な店員の影にも気づかない。たったひとコマだが、容姿まで描かれるあたり新たな刺客となるのだろうか。

所変わって会合を終えた綱川と、それを迎える連。悪しざまに不平を零す綱川に、まずは動向を伝える。すると綱川の表情は一変、

『甲斐……』

と、憎悪を隠さず呟いた。私怨にまみれた抗争の、火蓋が遂に切られようとしていた。

ところで余談だが、張り込みも中途に百目鬼は場を離れた。その間に山川が現れ、再び行方を眩まされでもしたら──

という疑問を残しつつ、感想を締める。

【追記】53話の扉絵が墓地に見えて仕方ない