56話(一部55話)感想
※あくまで感想のため、原作者の意図・意向は汲んでおりません。
※例により推しの欲目です。
──化かし合い、探り合い
奪った煙草を咥え、火を灯す。
『甘くて苦いあなたの味』
詩人めいた感想は、今の百目鬼に映る矢代像だろうか。懐古とも皮肉ともつかないが、辛うじて仄かな恋心を匂わす。
“甘くて少し──”
あの頃の初な憧れとも違う。焦がれて止まない、やるせない執心だ。時折赤らむ頬も綻ぶ唇も、はにかみではなく寂寥、或いは脇目も振らず闇に堕ち、挙げ句『立派な紋々入れたから極道になるわけじゃない』(要旨。22話参照)のを百も承知で、尚も追わずにいられなかった自身への嘲りか。
“逃げないように”
卑屈さゆえに、切なる願いにも気づけない。矢代に限らず百目鬼もだ。
私はかねてより、袂別までの経緯は矢代の自己満足と断じてきた。その “恩情” にどれほど苦渋があろうと、もう一方はただ悶々と自責に駆られるだけ。路頭に迷い、打ちひしがれた日々を、捨てた方が慮れる訳はないのだ。愚直に付き従い、命すら顧みない百目鬼を
『憂いもした』(42話)
確かにそれも一理。だが実態は、息詰まる盲信に慄き、ひたむき過ぎる男を受け止める覚悟がなかったのではないか。
戯れに一服終え、百目鬼は率直に切り出した。
いつから
どうして
何回イッたか
俺は覚えてない
巧みな誘導に、矢代がつい本音を漏らす。
『身体の相性がいいだけ』
今となっては性欲を満たせるのが百目鬼ただひとり、凌辱こそ自我であったはずが、初めて相性の良さを認めざるを得なかったのだ。同時にそれは百目鬼の探す『そばにいるための理由』、ひいては切っても切れない縁を象徴してはいないか。
俺なんかじゃなく女と──
誰としようが(あなたに)関係ない
仕方なく性欲処理しても(お前に)メリットはない
相性がいいのはお互い様
荒んだ言葉の応酬は、心を軋ませ磨り減らす。ともあれ、全ては百目鬼の決めたことだ。同じ轍を踏まぬようあくまですげなくつれなく、“この人” を繋ぎ止めるにはそうする以外にない。とは言え──
『義務的にヤっといて、淫乱呼ばわりして、酷えことも──』
『酷いの、好きでしたよね』
元より “淫乱” は矢代の代名詞ではなかったか。でありながら、意中の男の口撃には少なからず傷つくのだ。こんなところからも自我の崩壊が窺える。吐き出す恨み言も他責も、百目鬼に限ってのことだろう。程なくすると、刺々しかった語気が俄に弱まった。
『好きだよ』
投げやりに振り絞る。恐らくなけなしの矜持だ。滲む悲哀に、百目鬼の眼差しが微かに揺らいだ。
堪らず重ねた唇が、嘗ての昂りを呼び起こす。矢代もまた、躊躇なく腕を絡めた。感情を殺しても、口づけだけは正直だった。
畳み掛ける愛撫に矢代は成す術もない。たちまち身ぐるみ剥がされ、扇情的な口淫にあえなく達する。
衝動に任せ、ベッドに雪崩れ込む。が、煽ろうと抉ろうと虚無感は決して消えない。判然としない痼が肌の間をすり抜ける。
『何のセックス?』
敢えて名をつけるなら『惜別のセックス』か。そもそも部屋を訪ねた表向きの理由が、監視役を解かれた報告だからだ。
『節操がないので、ただヤりたいだけ』
いつか綱川に語った自虐が、不意に回収された気がした。肉欲に溺れ、ただ貪るだけではセックスの安売りだ。どうにももどかしい着地だが、そんな口実でもなければ “合意” を得られないと思ったのだろう。幾度交わろうと面子は面子、相愛を隠すなら、互いが性具に成り下がるしかないのだ。
是非はともかく、この二人には悲恋が似合う。一つは大団円への道筋が見えないこと、もう一つは百目鬼の存在が矢代の甘えに繋がっていること。死別か離別か、いずれにせよこのまま心を閉ざし、掛け違いを正さない以上それも止むなしだ。矢代を失(喪)えば、百目鬼は生きる意味がない。反対に矢代は、百目鬼を失(喪)って初めてその存在の重さを知るのではないか。
ところで件の動画だが、(●●撮りというのはあまりに下世話なので避ける)どうやら井波自身が収めたものらしい。後生大事に取っておくにしても、公職者が無防備に顔を晒し、明け透けな痴態を記録するなど愚の骨頂だ。毛嫌いしてきたヤクザを手篭めにし、さぞかし溜飲を下げたつもりだろうが、当の矢代には害も益もない。他に決め手となる弱みでも握っていれば別だが、今のところそれらしきものも見当たらない。むしろ百目鬼にデータを渡したのは悪手の極み、ゆくゆく報いを受けるのがオチだろう。姦通が明るみになれば、機密情報の漏洩、背信を疑われかねない。そうなれば失職はおろか、身の破滅もあり得るのだ。無論、百目鬼の信条からして矢代の汚点を餌にするとは思えないが、果たして動画は今後の展開にどう作用するのか。
個人的には、行き場なく埋没するだけの飛び道具ではないかと想像する。コンタクトケースほど影響も及ぼさず、結局は井波の自滅に一役買って役目を終えてゆくのかも知れない。否、そう願っている。