海の豊かさは食卓の豊かさ。
そこにいるのはわずかなひとたちの村。

昼間、新島を一周、海をただいろんな方角からみた。海の波色は、私の心情を揺らす。ときにはひろく広大に、ときには内面にぐいぐいと、ときにはただ静かに内面が浮かびあがり、そこに投影された。

私の背負う、表裏が常に逆転する危ういちいさな社会は自然に包まれた今、ここではくだらない劇場に思えてくる。

前浜。シュノーケル。
海の世界をのぞけば、そこには熱帯魚が豊かに泳いでいる。
手のひらサイズのいかの大群。
2本足をたて浮いている。私が近づけば、すいすい横に足をひらいたり、とじたり、泳いで、海のどこかへとかけめぐる。
いかの銀色ネオンは美しくて、その存在自体が私を魅了し、ときをいかと海の時間に染めてしまう。

まちは、若い子は少なく、お年寄りが多く、活気は感じられない。おおきなまちはふたつ、メイン通りのおみやげはふたつ。観音祭にいけば、コンパクトに10本指でおさまる店数しかない。競合他社なんて、言葉は存在はしない。

新島でナンパするという言葉が数十年あったらしいが、、、今は跡形もない。

パルテノン神殿の露天風呂から日がおちていく前の海を眺めて、ぼんやりとぬるま湯につかれば、目の前に軽いナンパがくりひろげられている。

お酒を飲みながら、頭頂たちのヨガをするヨガインストラクター。人間技に見えず、私はまたすこし遠のく。ここから。私から。私もひとつの景色になってしまう。

夜は仲間のひとりが海で釣ったあじのなめろう、焼きかんぱち、うに、ばふんうに、紫うに、しったか、松葉貝と並ぶ。
そして、地元のカメノテの味噌汁、赤いかの刺身、くさや。
で、メインは炭火をおこし、BBQ。豚肉を頂き、ビール缶を片手に、バッタも参加。
新島では、バッタは先祖のつかいという。

お盆休み、仲間で賑わうほそえんでいたのだろう。

外での宴会は11時をまわって、12時になり、すこし脱落し、1時過ぎまで続く。

他愛なない仲間たちは、いくつかの爆発しそうな弾を投げ、仲間が笑顔に蹴っていく。夫婦生活、恋人たち、親子、フリーな人たち、
みな新島の生を食べて、頂いている。

まちのハイビスカスの赤、黄色の鮮やかさが、目の奥に飛び込み、くさやの匂いにおなかがすく。

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