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これまでもずっと、ぬるま湯に浸ってきた

「明日調理責任者が朝から出勤してくれるから。それで私が1時間早く出勤するから。で、みかちゃんは休みね」

目立った症状は喉痛と咳だけ。けれど、どうにもできない怠さが身体に付きまとって離れない。せめて熱でもあれば堂々とお休みできるのに。やり場のない気持ちを抱えて昨日、老人ホームの厨房の仕事に出勤したら、明日のシフトが休みになっていた。体調不良で元気のない私を見かねての対応だったことは、すぐわかった。「さっき社員さんが明日のシフト組み替えてたから」と、パートさんは続けた。

私は社会人になってからずっと、年下の立ち位置だった。

新卒で居酒屋の店長をやっていたときは、私が入社して翌年から、コロナの影響で新卒採用が激減した。中途入社社員を部下に持つことはあったものの、私はずっと年下部下が持てなかった。


だからなのか、私の感覚ではずっと、誰かに守られているような気がする。


店長の下で働いていた新卒1年目のときは、「居酒屋=ブラック」を決して感じさせないシフトを組まれては、周りの社員に「みか、めっちゃ(労務)守られてるね」と言われて複雑な気持ちになった。守られている分の皺寄せがどこに発生しているかがわからないほど、私は鈍感ではなかった。

2年目で店長になってからも、事業部やエリアでは下っ端だった私は、周りの先輩社員に徹底的に守られた。公休が取れないと漏らせば「この日私営業入るから休んで」とシフトをいつの間にか休みにされていたり、少しでも悩んでいる素ぶりを見せればすぐ電話がかかってきたりする。


「私だけぬるま湯に浸っているんですよね」

私は当時一緒に働いていた社員によく、こう漏らしていた。
みんなそれぞれの役割で忙しく、私がいつも忙しそうにこなす店長業務は当然みんな抱えていて、それでも何かあれば助けてくれる。助けられてしまう。

私もみんなの力になりたい、と思って少し頑張ってやった仕事も、「みか、すごいね」と漏らさず拾ってくれる。拾ってくれてしまう。


いつまでぬるま湯に浸っているんだろう。


私は今年、もう28歳になる。

「もう」なのか「まだ」なのかは人によると思うけれど、少なくとも、誰かに守られる立場からは脱却しないといけない。少なくとも、体調不良で休みたいことくらい、自分の口で責任者に言わないといけない。というか、それくらい言えるのに。

なんだかずっと、子どものままだ。そりゃ今の職場のパートさん方にとって、私は子どもみたいなものなのだろうけど。

昨日の出勤終わり、シフトを組み替えてくれた社員さんにお礼の連絡を入れると、「頼られるのが嬉しいから」と言われた。きっと今最優先で求められていることは、ぬるま湯からの脱却ではなく、体調の完治なのだろう。

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