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不安になったり心配したり、もはや悩むのが趣味なみかんの(応援)日記。

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不安になったり心配したり、もはや悩むのが趣味なみかんの(応援)日記。

最近の記事

不安も包み込む、直感

最近、みかんはまた、 新しい不安の種を見つけては、 どんどん膨らまして不安の妄想を広げて、 恐怖に包まれていた。 でも、 以前にも書いたことがあるけれど、 人生の中で あまりにもたくさんの不安と向き合い過ぎていると たまに、ああこれはもうすぐ解決するな、 とわかる時がある。 今回は、明日にはこの不安はなんてことなくなるなぁ、 といった感じ。 そうはいっても、 不安の渦の中にいる時はいつも通り大変で、 不安を解消するために外に外に、 絶対的な答えを求めて動いてしまう。 誰か

    • いつか再び自由に楽しめる日のために

      みかんはここ数年 いろんなひとのいろんなことを手助けすることが多くて それは嬉しいことでもあり 時に悲しい瞬間もあり 知らない間に必要以上に背負ってしまっていた、 と思う。 みかんは、知らない場所に行ってみるのが好きで、 知らないことをやってみるのが好きで、 好奇心旺盛。 その好奇心が、みかんを、 たくさんのひとや経験に出会わせてくれた。 最近は、 これをやってみたい!とむくむくイメージが湧いてきても、 怖い、と強く思ってしまう。 それは、失敗したらどうしよう、 それ

      • 不安にさえも、きっと、優しさが隠されている

        心配性のみかんの人生の中で、 よく出てくる不安の一つ、 ここに居られなくなったら、という不安。 何かミスをしてここに居られなくなったら 手続きを間違えてここに居られなくなったら 体調が悪くなってここに居られなくなったら ここに居られなくなったら みかんはどうなってしまうんだろう。 なにかを心配したり 不安に思ったり 緊張したりすると よく現れる「ここに居られなくなったら」という 不安「怪獣」に 食べられそうになるみかん。 ところで、どうしてそんな不安を持っているんだろ

        • 出会ってくれたことにありがとう

          みかんは時々悩むことがある。 ただ過ごしているだけで、いろんな存在に迷惑をかけていないかと。 店員さんに商品やサービスのことを教えてもらって、 やっぱり買うところまで至らなかったとき。 消耗品や使わなくなったものをごみに出すとき。 何にでも悩みを抱えてしまうわたしは、 ふとそんなことを悩んで悩みが止まらなくなる。 ひとは一人では生きていけない、たくさんの存在に支えてもらっているんだな。 そんなふうに考えて、 自分は誰かの何かの役に立っているか、 また考えてしまう。

        不安も包み込む、直感

          うまくいっていたら見えなかった喜び

          みかんは時々思うことがある。 たとえばあの人間関係がうまくいっていたら、 たとえばあの面接に受かっていたら、 たとえばあのコミュニティを続けていたら、 たとえば悩みがちなみかんではなく、いつも前向きなみかんだったら。 全部思った通りうまくいっていたら良いのにな、と。 …でも、もしそうだったら、 いまの友だちに出会えていただろうか。 人や物や自然や、いろんな存在の温かさや優しさに気づけていただろうか。 願ったものがやっと叶った時の、心からの感謝を味わえただろうか。 次はこ

          うまくいっていたら見えなかった喜び

          永遠の悩み、ではない

          苦手な人との人間関係にも、 みかんは、深く悩み過ぎる。 だけど、 そのコミュニティに変化が起きたり、 なんらかのきっかけで関わりが薄くなったり、 きっと人間関係は流動的なのかもしれない。 その悩みは永遠ではない。 そう思うだけで、少しだけ 少しだけ気持ちが落ち着いてくる。

          永遠の悩み、ではない

          ひとりぼっち?

          みかんは時々、ひとりぼっちだと感じてしまう。 少ないけれど仲良くしてくれる友だちもいて、 学校の時も仕事の時も、誰かしら仲間はいるのに。 本当に本当はひとりぼっちじゃないことを 頭ではわかっているんだけど。 時々思うことは、 友だちには、みかんよりもっと楽しい友だちがいて、 学校や仕事の仲間には、もっと親しい友だちがいるんだろうな、ということ。 何事にも悩みやすいわたしは、そう考えてはかなりの頻度で落ち込んで。 みかんがいくつかのコミュニティで 何人かのひとと関わってい

          ひとりぼっち?

          過去と未来とともに、いま、超えていく

          相変わらず日々不安や心配でいっぱいな私。 特にここ数日は、不安や心配の量が半端なく、 ある意味生きているだけで不安で心配で、 抱えられる量の限界に達したのだと思う。 そんなとき、 不安と心配の大きな雲の向こうで、 「こんなところでは終われない」 という、自分の声が聞こえた気がした。 それとともに、 過去にも同じように、崖っぷちから、 一筋の光が差したとき、 もう何もできないと思ったところから、 こんなにも優しさや楽しさで満たされた世界だったと思えたとき、 そんな瞬間の映像が

          過去と未来とともに、いま、超えていく

          心配性スイッチが入ったらゲームスタート

          相変わらずあらゆることで悩む私。 特に心配性はどんどんひどくなっている気がする。 些細なことをきっかけに心配性スイッチが入り、 不安と心配が止まらなくなり、 過去を振り返ってはくよくよ、 眠れなくなり、 あれでよかったのかと悩み続ける。 生きているだけで心配がとまらなくなる。 自分でも些細なことだとわかっているのに。 どうしても心配の連鎖がとまらなくなったとき、 最近は少しだけ、ゲームが始まる。 この心配をどうやって攻略するか、 どの段階で、どこまで、 自分の人生へ

          心配性スイッチが入ったらゲームスタート

          こんな心配性な自分だけど

          心配性のわたしは、変化にも弱い。 季節の変わり目や世の中の変化の中で、 気持ちがそわそわして、漠然とした不安を持ち、 小さな出来事にくよくよしたり、 なにかにつけて、自分のせいだと思ってしまい、 ご機嫌に過ごすことに謎の罪悪感が生まれたり… 日々悩むことが趣味のわたしは、 時々こうやって、あらゆることに対して 悩みの種を見つける才能がある。 きっとこの先も、趣味で悩むことは続けるんだろう。 めんどくさい性格だなと思う。 だけど、それでもやっぱり、 自分でよかったと思う瞬

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          ちっぽけな自分に降り注ぐ優しさに気づいたら

          トラウマと付き合うのは難しい。 怖かった、という記憶が、ちゃんと残っていて ことあるごとに思い出してしまうから。 小さなことでも心配し続けてしまう 心配性のわたしには、抱えきれないくらいの 大きな怖さを、度々思い出してしまう。 人によっては、なんてことない出来事たちなのかもしれない。 そう思うだけでも、少しだけ心が軽くなる時もあるけれど、 でも、日々悩みの渦に入りがちなわたしにとっては、 なかなかの大きな岩のように、 過去怖かった出来事のいくつかが、 心にのしかかっている。

          ちっぽけな自分に降り注ぐ優しさに気づいたら

          悩みの渦から抜け出る視点

          しばらくご機嫌に過ごしていたけれど、 気づいたらまたたくさんの不安を抱えて、 悩み続けている時間ばかりなわたし。 どうしてこんな性格なんだろう、とか 同じ状況でももっと日々ご機嫌に過ごしているひとは たくさんいるんだろうな、と頭でわかっていても、 あれで良かったのか、これで良かったのか 過去を振り返っては、くよくよくよくよ悩み 今後どうなるんだろう、と 未来に思いを馳せては、どうしようと不安になり、 こんなにまじめに生きているのに どうしてこんなに悩みが悩みを増やしてい

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          エネルギーの浪費だとわかっていても、悩んでしまう

          あいかわらず悩んで、心配しすぎて、 正解を探して無駄に行動をしてしまうわたし。 そして行動したことで、さらに悩みを増やすという、 笑うに笑えないことを繰り返している。 本当は正解なんてないかもしれなくて 失敗したと思っても全然失敗じゃなくて、 ただひとりで悩んで心配しているだけだと 頭の片隅では感じていて、 でも、悩むことをやめられない、わたし。 「それはもう、(悩むのが)趣味なんだよ。」 と言われて、そうか趣味なのか、と気づいたときは、 ものすごくすっきりして、 そう言

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          解決するのがわかるとき

          あいかわらず日々悩んでいて、 あいかわらず趣味の悩むことを続けているけれど、 最近、というか、以前からそうだったけど、 気づいてなかっただけなのか、 あ、この悩みは、こう解決するだろうな、 とか、わかるときがある。 これまで毎日毎日、数えきれないほど、 あれこれ悩んで心配しまくっているからか、 もうこれこう解決するじゃんきっと、 とイメージが湧くものが多いと気がついた。 解決するとスッキリして その悩みは思考から消えることが多いけれど、 あまりにも数えきれないほど悩み

          解決するのがわかるとき

          うまく行っているときほど、 本当に大丈夫かと不安になる。 あれこれ良くない方向にばっかり考えてしまって もっと、いつも良い方向にフォーカスできたら、 ご機嫌に過ごせるのになぁ。

          うまく行っているときほど、 本当に大丈夫かと不安になる。 あれこれ良くない方向にばっかり考えてしまって もっと、いつも良い方向にフォーカスできたら、 ご機嫌に過ごせるのになぁ。

          悩むことは、もはやプロ?

          また不安が押し寄せてきて、 悩む時間(もはや趣味)が続いて、 今回もおおかた、だいぶ過ぎ去っていったような気がする。 今回も、しばらくして俯瞰してみると、 ただ色々頭の中で考えてしまっているだけだと気がつくんだけど、 不安の真っ只中ではただただ不安。 すぐに視点を切り替えられたら良いけど、 そうは言っても悩んでしまうんだ。 日々なにかしら悩んでいて、 それでも今日までなんとか過ごせているということは、 ものすごいたくさんの数の不安や悩みを なんとか超えてきたということな

          悩むことは、もはやプロ?