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ヘッドルーペと水平線

よく晴れた日には目を細めると水平線の彼方にハワイが見えた。

他に何のとりえもなかったけど、目だけはよかったことを自慢するのによくそんな冗談を言っていた。地球が丸いことを知っていれば、どんなに高性能な望遠鏡を覗いても水平線の向こうにハワイが見えたりしないことはすぐに分かる。つまらない冗談を言っても軽く受け流してくれるガールフレンドの笑顔を見るのは楽しかったし、ついに言えなかった想いを胸の内に隠しておくにも都合がよかった。

レンズ 2

ヘッドルーペを買ったのは3年前だったか、趣味で模型制作のブログを始めて、模型を写真に撮るようになったのがきっかけだ。実物より大きなサイズの写真に引き伸ばされた模型の工作の粗さがとにかく気になり、老眼でもないのにと今まで馬鹿にしていたヘッドルーペを買ってみた。たかが3倍程度のプラスチックレンズでも模型が隅々までクリアに見えて、これまで自分は模型の何を見てたのかと思うほどの世界がそこにあった。

カッターで切り出したパーツは切断面が斜めになっている。やすりを当てて小口がぴしっと垂直になるように調整すると、本物を縮小したものがそこにあるようなスケール感が生まれる。肉眼では分からない細かい傷を1200番のサンドペーパーで擦って消して、角に溜まっている削り屑をアルコールに浸した綿棒で拭う。接着の水平垂直を確かめながら流し込み接着材をそっと塗る。ふうっと息を吹きかけながら接着するとはみ出した溶剤がみるみる乾いて表面に接着剤の跡が残らない。

今まで見えてなかったものが見えるようになってくると、仕上がりの精度も上がっていく。模型を正確に作るのが楽しくなった。不思議なものでレンズ越しに手の先が見えていればちょうどいい手の動かし方も分かってくる。

カメラのピントが合う感覚、とでも言うのだろうか模型の精度が上がると周りの空気も澄んでいくような気がする。

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肉眼では見逃してしまう程の小さなパーツの窪みに小さな穴を開けてみた。ヘッドルーペ越しにドリルの回転軸がブレないように両の手の脇を固める。左手にピンバイス、右手に模型、両の手首をつけて位置を定めて0.5mmの穴と0.3mmの穴を開けるとパーツの小さな先に丸い光が生まれる。

どんなに小さなものでも目に見えてさえいれば手が届く。ただし、レンズ越しに見えたものが必ずしも「目に見えている」ということでもないことが分かっていての話だ。

見ているものに重ねるように手を動かした後のイメージが見えてないとダメで、たとえば ...0.6mmの穴を開けたいところだけど穴の周りの余白が0.2mmに足りなくなるから作業中にプラスチックのパーツが砕けるリスクが高い...だから0.5mmのドリルの刃を選んで穴を開ける... 直感的にこの判断ができるのが「目に見えている」ということで、どうしても多少の経験が必要になってくるところだろう。

想像するのは自由だ。しかし同時に、見たいものと見えるものの違いを区別できる眼を鍛えないといけない。経験や知識であったり、残念ながら時間が必要だったりする。

それは夏の始まる前、あの日の駅のホームから見えた海の水平線に、あの時は気づかなかった光が見えるようになることかも知れない。もちろんそれは海の彼方のハワイが二度と見えなくなるということでもあるけど。

鎌倉高校前


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