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中西美雁の日々是排球        リカルドとブルーノ

バレーボールマガジンの編集長ブログを始めることにしました。今考えているのは「女性観戦者が多い競技があってもいいじゃないか」とか「人に寄せる」など。バレー話が多いとは思いますが、日々のよしなしごとなども語ったりすると思います。「そうめんをあまり食べたくないわけ」とか。そのあたりはご容赦くださいませ。

というわけで、第1回からバレー以外の話をするのも何だなということで、今回のお題は「リカルドとブルーノ」。バレーファンなら知らないひとはいないであろうブラジルの名セッター二人ですね。ブルーノは、石川祐希ファンには「モデナでチームメイトだった」でわかるでしょうし、福澤達哉ファンの方には、ブラジル修行のときの受け入れチームでキャプテンでオーナーだったのがリカルドというベースもあります。私は一時期ライトなブラジルファンだったので(まさにミーハーですね)、リカルドもとても好きでした。あのスピード感あふれる強気なトス回し。そしてその上で築かれるジバとの厚い信頼関係。

2006年の世界選手権は男女とも日本で開催されました。女子は6位、MVPはロンドン銅メダリストのセッター・竹下佳江さんです。6位のチームからMVPということで大バッシングが起きました。こっそり聞いた話では、当時のアコスタFIVB会長が竹下さんのプレーをいたく気に入って推薦したのだそうですが。とにかくもう気の毒なほどに叩かれまくった。2002年のアルゼンチン大会でも6位のアルゼンチンからマルコスミリンコビックが選ばれていたはずなので、そんなに叩くほどのことかなーと牧歌的に傍観してたんですが、日本て自虐的な風潮がすごくあって、なんでそこまで叩くの?と不思議になることがあります。この時もそうでした。

女子大会のあとに行われた男子大会のMVP決定方法は女子と異なり、はじめから3人位の選手の名前しかいてない用紙が配られて、ジバとあと二人くらい。そこからしか選べないようになっていました。私はもちろん「ジバ」と書いて投票し、彼が大方の予想通り受賞しました。その頃のブラジルのバレーは本当に美しくて。トリッキーでありながら、教科書通りの正確さもあり、とにかく芸術品のようなバレーでした。

記者会見の場にあらわれたジバは「受賞は非常に光栄に思うが、今大会に関して言えば、この賞は相方のリカルドのほうがふさわしかったと思う。でもお礼を言いたい」とコメントしていました。決勝はとにかくリカルドの自在なトス回しに、ブラジルチーム全体がノリノリになって、ポーランドは手も足も出ない状態でした。あ、クビアクもまだいなかったころですね。

翌年のワールドリーグファイナルラウンドをポーランドまで取材に行ったのですが、このときのリカルドも素晴らしかった。ブラジルが優勝して、MVPは今度こそリカルド。ですが、しばらくして衝撃のニュースが。ベルナルド・レゼンデ監督がリカルドをブラジル代表から追放したというものでした。リカルドの代わりは、レゼンデ監督の息子のブルーノ。

私はこの年、柴田恭平選手のスペインリーグ行きをサポートしていたので、何度かスペインに行きました。柴田のチームには何人ものブラジル人選手がいて、彼らの家族もスペインに来ていました。人懐こい彼らは、私が来るとよく一緒に食事をしてくれたのですが、その時に彼らと話す中で強い印象に残ったのが、「ベルナルジーニョは、息子をオリンピアンにするためにブラジルの金メダルを投げ捨てた」という言葉でした。「誤解しないでほしいんだけど、ブルーノもいいセッターなんだよ。だけどリカルドとは違う。彼は特別なんだ」と。

ジバに柴田と対談してもらったときに、ジバも言っていました。「リカルドは速いトスが得意で、マルセロはそこまでうまくできない。リカルドとはずっと一緒にやってきて、特別な関係なんだ」。

しかし、現全日本男子監督の中垣内祐一氏はその頃ちょうどブラジルに海外研修に行っていましたが、「レゼンデと話したけど、監督の立場からすると(追放は)しょうがないことだと思ったよ」とポツリ。具体的に何が理由だったかまでは教えてくれませんでしたが、レゼンデ監督に同情的でした。

2008年のワールドリーグファイナルは、ブラジルで行われ、なぜか日本は特別推薦ということで出場権を与えられました。北京五輪出場を決めたあとのことで、植田辰哉監督は現地に来ず、選手も若手の清水邦広、福澤のほかは、五輪最終予選に漏れた選手が派遣されました。このファイナルで、ジバは柴田に「リカルド抜きで金メダルをとることはほぼ不可能だろう。ベストは尽くすけどね」と語ったそうです。北京五輪はご存知の通りアメリカが金メダルで、ブラジルは銀。これ以降しばらくブラジルは「シルバーコレクター」となります。2010年の世界選手権では優勝しましたが。ブラジルがまた準優勝だったという事実を知るたびに、柴田のスペインでのチームメイトとその家族たちの言葉が思い出されました。レゼンデ監督とブルーノは、彼らにどう釈明するのだろうと。ロンドン五輪ではリカルドも復帰しましたが、全盛期を過ぎた二人には、ロシアの大逆転を覆す力はありませんでした。

そして母国で迎えたリオデジャネイロオリンピック。決勝はアテネ五輪と同じイタリアとのカード。圧倒的なホームでの声援の中、ブラジル男子は金メダルに輝きます。イタリアはまたしても五輪で金を獲ることはできなかった。そして、ベルナルド監督とブルーノも、やっと胸を張ってブラジルのバレーファンに相対することができたでしょう。この大会を最後に、ベルナルド監督は代表監督から身を引きました。

この文章を書いている最中に、リカルドの引退が発表されました。ジバ、ダンチ、リカルド。黄金時代を支えた選手たちが一人、また一人とコートを去っていき、寂しい限りです。リマ・マウリシオ、リカルド、ブルーノと、ブラジルにはその時代を代表する印象的なセッターが存在します。ブルーノ時代はいつまで続くのでしょうか。それはレゼンデ監督の跡を引き継いだダルゾット監督にしかわからないことかもしれませんね。

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