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受け身になっちゃうことに気付いたら

こんばんは。
コミュニケーションから再創造を生み出す、が最近のテーマのみかりです。

最近きづいたことは、「いかに自分が受け身になっているか」ということ。

ちょっと話してみましたよん。
せっかくなので、また文章でもまとめてみました✨

ほっとけば自然と受け身になるのよね


いつのまにやら「受動的になっている」ということに
仲間と話して気付いた私。

というか、人って
ほっといたら受動的になってしまうものなんです。
主体的になにかを生み出し続けるって、とっても大変。

主体性を発揮してオリジナルを生み出すよりも
人から求められることをやったり、相手に合わせるほうが、楽なものです。

とはいえ、そういわれるとなんだか抵抗感が出ませんか?
私はすごくありました。笑
自分なりに考えていろいろやってきてるつもりだったしね。


でも、自分はやってるって思っていても
なにか限られた選択肢の中から、
更にその中で自分が興味ありそうなこと・できそうなことを選んで
やっているにすぎなかったりします。
それって受け身だと言うことができますよね。

主体性って何さ。


そしたら主体的になるって、どういうことなのか?

その選択肢自体を生み出してしまうことです。
でも…それってものすごく大変だし、
そもそもそんなことに意識が向かないことがほとんどだと思います。

それはつまり、受動的だということ。
「誰か違う人・環境・歴史がつくってきた
固定された概念から生み出された選択肢」から
選んでいるにすぎないのでね。

『そんなこと言われたら全部、受動的じゃん!』
と言われてしまいそうですが

…そうなんですよねー。
私たち、自分で選んで生きてるって思ってるけど
本当はほとんどが受動的で生かされてるだけなんだよなあ。
一回このこと、ちゃんと飲み込む必要があるのですよ。


受動的じゃないものを生み出すのは難しいかもしれないけど
いかに生み出そうとするのか?
意識するのはすごく大事。

受け身じゃなくなると得られる感覚


誰か他の人がつくったものを選んでいることのほうが圧倒的に多いから
主体性をもってやるって、ものすごく大変。

でも、実は主体性が人生の幸福度につながっています。

いかに自ら選択して、自分が映画の主人公になっているゲーム感覚になれるのか?
それが人生の幸福度に比例しています。

この瞬間瞬間、自分が見ている世界を生み出しているのは自分自身

自分が今みているこの画面に、責任を持つことができるのか?
観たい画面を映し出すことができているのか?
この感覚がすごく大事。

すべて自分がつくりだしているという意識は
どれだけ自分の人生を生きれているのか?につながっています。

自分がやりたいことを選択したり、それどころか
その選択自体をつくっていけるのか。

受動的になってしまうことが多くなってしまうので
自分が感じている違和感を伝えていくことが大切だし、
そこから創造性は生まれてくるな、と思います。

主体的に自分のゲームを楽しんでいきたいですね~


***

心感覚を深めるために
コチラの本、お勧めです。

ゆるりと夜に読書会もやってます~
あそびにきてね。


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