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1行め:「故郷からの逃亡または流浪のはじまり」

「物書きになりたい」――
思春期の愚かな子供の心と脳髄を支配したその妄念。夢などではない。愚かな妄念そのもの。未来への展望もなく、何かを実現させるための能力も知力もないガキの思考思想を支配してしまった妄念。

「物書きになりたい」――
アニメを作ってみたかった。彼を狂気じみた高揚でときめかせていた、当時のTVや劇場、OVAのアニメーション作品。だが、これを書いている今と違いインターネットも情報も何もなく、どうすればアニメ業界に入れるのかもわからず。

漫画を描いてみたかった。だが絵は描けないので原作をやってみたかった。だがどうすれば漫画原作者になれるのか分からず。

小説を書いてみたかった。だが、愚かな少年が一心に読み込んでいた当時の小説、その一行すら自作では真似することも到底叶わぬ文筆チカラであり、そしてどうすれば小説家になれるのかも分からず。

そんな愚かな少年が、当時の私の有り様である。
物書き、創作の道に進みたかったが、その方法、糸口すら全く見えず。
私の生まれ、生家は農業、三河の百姓だった――私は、農業学校は卒業したが、地元で晴耕雨読をすることも叶わなかった。田畑、土地はあったが、それは私ではなく、長男のものになる資産だった。そのままそこで私が家の土地を耕しても、いわゆる水呑み百姓の、奴隷よりも安価な家族という名の下働きにしかなれない。
だが、農民にはなれなくても、当時は――愚かな少年が、現地で、三河で行きていくのは容易い時代だった。
私の生まれの三河、豊田市は、地名にもなったトヨタ自動車の本拠地、世界有数のインダストリアである。仕事の口なら、いくらでもあった。トヨタ自動車の社員、無数にあるトヨタの下請けの工業の社員、輸送業の運転手や労務者、それらを支えるサービス業。
高校を卒業した青年なら、贅沢を言わねば働き口はいくらでもあった。そんな時代。
しかも好景気の当時は、Fランク大学も難しい、いわゆる底辺な高卒の自分でも、つとめに出れば食べていくどころか、最初の年に車が買えて、数年でもう所帯を持てるくらいの稼ぎが可能な、そんな時代だった。
だが――
当時の私、愚かな少年は――

「物書きになりたい」

それは、逃避でもあったと思う。現地で百姓にもなれないまま、トヨタ・インダストリアの一員として働くという未来から逃げたかったのもあった。
そんな愚かな少年は、その逃げ場だけは、見つけてあった。

彼がバイト代をなげうって購読し、食い入るように読んでいた、当時のアニメ情報誌。
アニメージュ、ニュータイプ、などなど。彼にとっては、全てのページが眩しいそのアニメ誌、その白黒ページには様々の広告が載っていたが、そのひとつ。
毎号、必ず載っていた広告。それが ――アニメーション専門学校 の、各社の広告だった。
当時は、「代々木某」「東京某」の二つしかなかったと記憶している。
そして「東京某」には、アニメーター科、声優科などの他に。
「シナリオ科」なるカリキュラムがあると、愚かな少年は広告で知っていた。

――アニメの学校、シナリオ科 アニメのシナリオを学び、作る

田舎の、三河の、愚かな少年には――それしか、無かった。
「東京」
三河の愚かな少年は、故郷を飛び出す、逃げ出す先に。
全く知らない土地、大都会。縁故も知り合いも皆無な、東京を選ぶという暴挙に、出た。
無論、愚かな少年には東京へのあこがれもあった。

それを決めたのは、高校3年のときの夏。
当時、40人居た農業高校の私のクラスで、地元のトヨタ関連に就職しなかったのは私一人だけだった。
進路希望に「東京某アニメ学院」と書いた私は。
当然のように、進路指導に呼び出されて滾々と説教され、いろいろ諭された。

今思えば、進路指導の先生方には、善意しかなく。無謀で、人生を棒に振ろうとしている愚かな少年に、先生方は何度も何度も、日を変え、私の愚行、東京行きを諦めるように諭してくれた。
その愚かな少年は、農業高校の専攻科目ではそれなりに成績も良く、高校1年生の時から、当時は不人気の塊でなり手が居なかった「畜産班」の班長を3年努めていた。そして2年のときには、愛知県の農業高校が全て出揃う競技会、農業検定でわが校を優勝させた経歴も、あった。
その経歴を惜しいと思った先生方が、就職先まで斡旋してくれたが――
愚かな少年は、愚かなことにそれらを全部突っぱねた。最後には、私に良くしてくれていた教頭先生まで出てきて、渥美地方のメロン農家での働き口、うまくやれば入婿になれるルートも用意してくれていたが。
愚かな少年は、それらをすべて断って。
己の愚行、無謀な上京に固執して――最終的に、先生方はあきらめた。

そして、高校3年の春。農業高校を卒業した私は――
アルバイトで溜めた小銭と、両親に出してもらった現金、あわせて20万円。
そして。ボーイスカウトで使っていた「キスリング」という、昭和感どころか戦中戦後感のある巨大な背嚢に、着替え、布団、そして厳選した本を詰め込んで。
単身、東京へと旅立つ準備は整った。行先だけしかわからない、未来は何も見えない、まさに。
お先真っ暗な、恐怖心と不安だけが同行者の、無謀な上京だった。

この旅立ちは……。
物書きとしてのスタート、ではなかった。その時の私には、何のビジョンも、スキルもなく。ただ逃げるようにして、故郷をあとにした――ただの愚かな男でしかなかった。
この旅立ちは、私の長きにわたる放浪ホーボー 生活の始まり、だった。
何の展望もないまま、当て所無くさまよい、未来への展望も手持ちの金も乏しい、放浪者ホーボー勝ち組トランプ にも、夢見た物書きにもなれないまま、 ただ生きるため、食うためだけにどんなことでもしていた負け犬アンダードッグ の少年だった、私。
――この放浪が、この体験が、のちの物書きとして大きな財産になることを、まだ知らない私の旅が、こうして始まって……いた。


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