見出し画像

2行め:「上京」

旅立ちの朝――
よく使われる表現ではあるが、私の場合。愚かな青年の上京、その旅立ちは夕暮れだった。

三河。愛知県から、東京。飛行機や新幹線を使えば数時間のお手軽旅行だ。
だが、愚かな青年にはお金がなかった。出費は、極限まで抑えたかった。新幹線などという贅沢、許されるはずもなかった。
愚かな青年がとった、移動手段は――「青春18切符」。
それは、東京、当時は有明で行われていたコミックマーケットに参加していた知り合いからの入れ知恵だった。
東京へ行くのに、新幹線だと当時でも1万円ほど。
それが青春18切符なら、国鉄の在来線に限り、1日乗り放題の切符が1枚2000円ほどだった。その切符は、5枚か6枚の綴で1万円だったが、私の旅立ちのときに、知り合いが1枚だけ分けて売ってくれていた。

私が、その知り合いからの入れ知恵で乗ったのは国鉄の東海道線。
名古屋から、東京まで。当時、深夜に運行する東京行き、ほぼ各駅停車の在来線。
その夜行列車に乗るため、私が三河の生家を出たのは薄暗い夕暮れ刻だった。
――いまでも、その時の夕暮れの暗さと物寂しさ、不安と後悔、恐怖の重さをよく覚えている。
それらの感情に押しつぶされ、いつ東京行きを投げ出してもおかしくなかった私だったが……。
私は、愚かな青年は。まだ寒い3月の夜風の中、荷物で満載の重い背嚢を背負い、地元の駅に歩いて向かい。切符を売ってくれた知り合いの渡してくれた運行表を見、地元から名古屋に向かう鈍行列車に乗った。
周りが知らない人間ばかりの列車の中で、昭和の、まるきり戦後の買い出しスタイルの私は。それでも、じっと耐え、黙りこくって。ただ一心に、本を読んで。その紙面に集中することで、不安と恐怖から目を背けていた。

いまでも、はっきり覚えている。
「喪われた都市の記録」 上下巻 作・光瀬龍

私が当時崇拝していたレベルの、ドはまりしていたSF作家。光瀬龍先生の長編SFだ。
「物書きになりたい」――そんな私の妄念の火が、もし輝くことがあったならそれは光瀬龍先生の作品がくれた光芒がかなりの割合を占めると思う。
物書きになろうと思い立った少年の頃から。当然のごとく、その後何年も物書きどころかバイトで食いつないでもがく間も。私は……。
――光瀬龍先生のような作品を、文章を書きたい。
という不遜な夢に囚われ、何度も何度も同じ本を読み返し……しまいには、短編を原稿用紙(当時はまだパソコンは普及しておらず、ワープロも高嶺の花だった)に書き写していたほどだ。
その何度も読んだ本を、薄暗い電車の中で、その片隅で。不安と恐怖に濁った両目で。
光瀬龍先生の作品の美しい文体、無機質な宇宙という名の世界、環境の中で翻弄され、滅び、だがその道程を続けてゆく人類の物語に私は没頭し……未知への恐怖から、目を逸らし続けた。

地元三河から、名古屋までのローカル線。そこから、当時は魔窟のように見えた名古屋駅の構内を、膨れ上がったキスリングを背負った愚かな青年はさまよい、進み……もう深夜にかかる時間の東海道線上りホームに、たどり着いた。
そのくすんだオレンジ色の電車は、三河からのローカル線と見分けがつかない。私はポケットの中で握りしめられ、手汗によれた18切符を何度も取り出して、見……。
本当にこれが東京まで行くのだろうか? 
そんな、東海道線の夜行列車に私は乗って。
夜行列車に乗るのが始めてだった私は、その電車の混みように驚き、キスリングの大荷物で居場所がなく、座れないまま東京に向かうはめになっていた。途中、見知らぬ労務者風のおっさんが場所を空けてくれて、なんとか座席の片隅に収まることが出来てはいたが――

真っ暗な名古屋駅のホームから、私を、そして見知らぬ男たちを詰め込んだ夜行列車は、そのホームよりも遥かに暗い夜闇の中へと、走り出した。


もしよろしければサポートなどお願いいたします……!頂いたサポートは書けんときの起爆薬、牛丼やおにぎりにさせて頂き、奮起してお仕事を頑張る励みとさせて頂きます……!!