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オーパスワン#04/次代に継ぐ難しさ

2014年8月にフィリピーヌ・ド・ロスチャイルド男爵夫人が亡くなったとき。僕が考えたのは「後代に残す」ということの文化でした。
フィリピーヌは、盤石の態勢を子らに残した。
1988年に亡くなった父フィリップから渡されたバトンを、彼女は見事に彼女の子らに渡したのです。
人は老いる。あるいは・・老ける。
老いて靱やかになるか。老けて蒙昧と化すか。
それは分かりません。自分のこととして考えても判らない・・
しかし、その日のために「継承できる地盤作り」ができる文化を持てるかどうかは、極めて重要です。
毛沢東を継承した江青は、一週間持たなかった。
清の始皇帝も一代で崩落していきます。
ロックフェラーは、いまのところ3代続いています。

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50%/50%で始まったオーパスワンというジョイントベンチャーでしたが、一方の雄フィリップが亡くなった後も、ロスチャイルド家は揺るがなかった。でも残念ながら、もう一方の雄ロバートの一族はそうはいかなかった。
ロバートは老いた。その業績は子らに引き継がれた。そして2008年に彼が亡くなるまでの間に、モンダヴィ家の持ち分50%はファンド会社に引き渡され、モンダヴィ家そのものも係争に塗れてしまいます。あたかもロバートの父チェザーレが亡くなった時のように。。

成果としてのワインも。。オーパスワンの出来も。。
1990年半ばより失速してしまいました。
ついにはWine Advocate誌のレイティングで、2年間評価ゼロという年まで出てしまうほどオーパスワンは駄酒と化した。特に2000年は惨々なる年になってしまいました。
しかしその名声はうなぎ登りで、素晴らしいワイナリーも出来上がり、2001年には創立20周年の大きなイベントまで開催されました。
称賛は人の目を晦ませる。とくに長男マイケル・モンダヴィの目を晦ませた。
しかし心ある人々は、オーパスワンが人災に晒され、張り子のトラになっていることに危惧していました。

フィリピーヌの強い推奨で、2004年。デヴィッド・ピアソンがCEO になります。初めて独りの人間がオーパスワンの経営権を持ったのです。続いて2005年。ロバートモンダヴィ・コーポレーションそのものがコンステレーション・ブランズ社に売り払われ、オーパスワンの50%持ち主は同社になってしまいます。
2005年。Wine Advocate誌は95点という高レイティングを付けます。オーパスワンは、人災を乗り越えて見事復活を遂げました。

そして・・・2008年、その騒動の顛末を見つめながらロバート・モンダヴィが亡くなりました。享年94歳でした。
二人の男が歩んだ"人生"という道の交差点で生まれたオーパスワンというワイン。
こうやって見つめてみると・・・本当に考えさせられことが多いワインです。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました