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熊野結縁#01/地の恵みを商うこと

地の恵みを商いとするとき、我々はどこに結縁を求めるべきなのか・・そのことばかりを考えていた。
そのときふと立ち上がったのが熊野の山深い杜である。神おわす地だ。
神は・・(神なき)仏の理屈をいとも簡単に呑みこむ。法理が/神仏が混ざり合うことに何のためらいもない。もともと神をもたないブッディズム側にも、神仏一体化することに対する抗いは、本来希薄だと思う。ブッディズムは八百万の神おわしますヒンドゥーの中に生まれた新興宗教だからだ。

ガリアの地(欧州)を彷徨しているとき、僕は何度も神仏一体(この場合、仏はキリスト教の神である)に触れた。ガリアの神は、キリストの神を呑みこんだ。そしてキリスト教のような顔をしながら、我が教えを衆集に残した。キリスト教もそのベースはユダヤ教だ。ユダヤ教は本来神々の一人であるヤファウェイに帰依する宗教だ。そのヤファウェイをユダヤ教団が唯一神にすり替えてしまったのは。それほど昔の話ではない。同時にパウロが言い出したキリスト教の本性は極めてミトラ教に近しいものだったから、多神教との親和性はユダヤ教以上に有ったのかもしれない。
ガロロマンが残る地を歩くと・・僕はどうしてもガリアの神々とキリスト教の混淆に視線が行ってしまう。遠い地の底から聞こえてくる地祇と逝った人々の"気"の・・重低音にも似た声を肌で感じてしまう。

下から立ち上がっていく「教え」とはそういうものなのかもしれない。熊野信仰に僕は同じものを感じてしまう。

熊野信仰は、上から組み立てられた信心ではない。奈良の六宗、平安の顕密両宗が上から組み立てられた宗教なのに対して、熊野信仰はもっと根深く太古から続く「畏敬と感謝の信心」だ。下から上へと広がった信心だ。

その視座で彼の地を見つめたとき・・弊社は弊社が還るべき地として、あの熊野の山深い地があると確信した。熊野結縁である。
日本人は、貴人から民草まで、一生のうちに一度は熊野に詣でて神仏と結縁し、後生を願いたいという念願を擁いてきた。今、僕たちに必要なのは還るべき地との結縁だ。

明治の排仏毀釈/神仏分離の暴風を浴びても、江戸時代に席巻した国学が葬式屋の儒者や屁理屈だけの宋学を真似て"土俗"と揶揄しても、熊野詣は絶えることなかった。
いつの時代であろうと、民草を圧し潰すことはできても(スターリンのように)民草の心まで折り曲げることはできないもの(スターリンができなかったように)だ。平田篤胤を読みながら思うのはそれだ。あんたにゃスターリンの真似事さえ、できないよ。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました