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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#45/サン・ドナ・シュル・レルバッス01

https://www.youtube.com/watch?v=jYW1TadYL_o

ホテルへ到着したときは夕暮れに町が染まっていた。半日のエルミタージュの森散策は充実していた。熱い礼をドライバー・ムシュkにして別れた。フランスのの地方を網羅しているVTC/TAXIのクオリティは極めて高い。世界で一番信用できるプロフェショナル・ドライバーかもしれない。今回もそんな印象をうけた。
さてホテルである。ホテル・レストラン シャルトロンHotel-Restaurant CHARTRON(1 Av. Gambetta, 26260 Saint-Donat-sur-l'Herbasse)を今回のプロヴァンス歴史散歩の最後のホテルに選んだのは、もちろん料理の質である。
https://www.restaurant-chartron.com/
「今日は流石にくたびれたわ。朝から渓谷列車で飛び回って、午後から山歩きでしょ。それからワイナリー歩きまでして、こんなにスケジュールを押し込めたのは、しばらくぶりじゃない?」と嫁さん。
「ん。たしかに・・はは。ムシュkのガイドを聞きながら、申し訳ないけど‥途中寝てた」
「知ってるわ。だから時々、それとなく手をさすって起したのよ」
「申し訳ないです。今夜は食事が済んだらさっさと寝よう。明日はバランスへ戻る。バランスからTGVでパリへ帰ろう」
「ということは・・今夜がプロヴァンス最後の夕食ということね」
「ん。それもあって、ちょいエルミタージュからはなれたホテルを敢えて選んだんだ」
「ふうん。なるほどね。でも・・さっきミシュランをチェックしたら・・わりと素っ気なかったわよ」

「まあ、自分で確かめよう」
食事は19:30から。充分満足できるものだった。
ワインはコート・デ・ローヌを選んだ。ドメーヌ・フランソワ・ヴィラールDomaine François Villard(330 Rte du Réseau Ange, 42410 Saint-Michel-sur-Rhône)
http://www.domainevillard.com/
「エリミタージュを北へ50km行ったワイナリーだよ。素晴らしい生産者だ」

「100% ヴィオニエだ」
「今回の旅行で、ヴィオニエを見直した気がする。それとルーサンヌとマルサンヌも」
「ん。シャルドネとは違う美人さんだな。気が付いてくれると嬉しいよ。選択肢の幅が広がる」
「あ~なるほどね」

実は・・・僕はワインを呑まなかった。飲み始めたのは嫁さんと結婚してからだ。僕の酔っぱらい人生は、ひたすらハードリカーだった。それが一緒に酒を呑むようになると・・一緒に同じ酒が飲めないことに気が付いた。最初はオーセンティックなバーへ一緒に出掛けていて、嫁さんは婦女子が呑むカクテル(西海岸のとか野菜をつかったやつとか・・ナンジャクなヤツ)で僕に付きあってくれてたんだけど、食事の時はというと、そうはいかない。
オフクロにそれとなく言ったら、こんなことを言われた。「野暮なものばっかし呑んでるからよ。お酒にだっておんなぶり・おとこぶりは有るもンよ。いい男によるのは難しいけど、せめていい男のふりから・・始めたほうがいいわよ」さすがギンザガールは口性無い。
僕が初めて会社務めした時、英国屋の背広を作って、サンヨーでバーバリー買って、田屋でネクタイ。大和屋でワイシャツを作ってくれた人だ。高校時代に「新宿へ遊びに行ってくらぁ」と言ったら「およしよ!そんな遠いとこいくのは!」と言った人だ。
それで銀座のレカンへ連れてってくれた。食事をしながらソムリエを紹介してくれた。それが僕のワイン遍歴だ。
そのときオフクロが言った「ワインはね、良いものだけを呑むのよ。下司なのは飲んじゃダメ。舌が腐るから。・・懐が寂しかったらお酒に使う10回分を1回にまとめて使えばいいのよ。残りの9回は三楽オーシャンでいいの。ウイスキーが良けりゃトリスでいいの。ワインはダメ、ワインだけはお金を貯めて、良いものだけを呑むの。そうすりゃいつの間にか好い呑み手になるわよ。やってごらん」
・・やってみたんだが・・40年経って、ただの酔っぱらいなまんまは相変わらずだ。あ~あ、草葉の陰で鼻を鳴らしてるだろな、オフクロ。

「フランソワ・ヴィラールって、エルミタージュの生産者じゃないの?」と嫁さん。
「コンドリューの生産者だ。括り分けでいうならコート・ド・ローヌCOTES DU RHONEにはいる」
「プロヴァンスじゃないの?」
「ん~それも括り方なんだが・・マルセイユ周辺からカンヌ辺りまで、北はアヴィニヨン辺りまでがプロヴァンスだ」
「シャトーヌフ・デ・パプは?」
「生産者に聞いてみると、諾否が別れるかもしれないな。僕は、シャトーヌフ・デ・パプはアヴィニヨン教皇庁のワインだからな、プロヴァンスに入れても良いと思う」
「ジゴンダスは?」
「これも地元の生産者に聞いてみればいいと思うんだが、諾否はあまり別れないと思う。彼らは自分たちをプロヴァンスだと思ってないはずだ」
「ということは・・エルミタージュは違うわよね」
「ん。しかしコート・デ・ローヌという括り方で見れば、みんな一緒だ。人類皆兄弟だ。船舶協会が寄贈してるミニパトには皆そう貼ってある」
「じゃあなんでプロヴァンスという言葉があるの?」
「ローマの属州プロヴィンキアProvinciaだったとこ・・という意味だ」
「じゃあシャトーヌフ・デ・パプはプロヴィンキアだったの?」
「ギリギリだ。だから生産者に聞いてみても諾否が別れるということだろう」
「ということは、今回の旅行はプロヴァンス観光じゃなくて、コート・デ・ローヌ観光だった・・というわけ?」
「というより・・ミストラル感傷旅行ということかな・・コート・ド・ローヌで通すなら、もっと北まで200kmをおうことになる。それも面白いけどな。でも今回はエルミタージュまでにした。
実は別の機会にリヨンから初めて中央山塊Massif centralの北側を歩く散歩がしたいと思っているんだ。その時にヘルシニア山脈essentiellement hercynienを歩くつもりなので、エルミタージュより北の生産者の所には上から下りてくる感じで行きたいと思ってるんだ」
「なるほどね、それはそれで楽しみね」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました