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熊野結縁#06/一言主神#01

ぽつぽつと、ひとつずつはぐれた好奇心が、突然予期なく繋がることがある。
僕は奈良にいた。積水さんの仕事だった。いつものようにオフは"時の彼方"をさ迷う出張だった。
そのときは僕の心は「葛城」をさ迷っていた。一言主神と雄略天皇の出会いである。
そのとき一言主神は「古事記」では「我は善言でも悪言でも一言で効験(こうけん)を表す神」と名乗ったという。雄略天皇は畏れて種々の物を献上した。一言主神は喜んでそれを受け,山の入り口まで天皇を見送ったとある。・・記紀には神が現身をもって出現し、人と話をする件(くだり)は、神婚以外ない。その意味でも極めて興味深いエピソードである。(僕は実はこの件は神婚/契だったのではないかと思ってる)

一言主神とは誰か? 住吉大神/八幡神は葛城一言主神と混ざる。おそらく海神だろう。では海神としたとき、なぜ山深い奈良の西方の山岳地区におわしますのか・・そのことを考えていた。
目の前に「風の森峠」が有った。高野街道がある。
高野街道を行くと塚山古墳/つじの山古墳/猫塚古墳とAC400から500にかけての古墳が点在している。これらの古墳から出土する副葬品は朝鮮半島や中国大陸から渡ってきたものが多い。けっして立派な古墳ではない。しかし副葬品は目を見張るほど立派なものが多い。なぜか?それを追って"時の彼方"を歩くために、僕はそのとき風の森峠にいた。
「このまままっすぐ行くと、五條市です。吉野川にぶつかりますよ。その辺りまで行きますか?」とTAXIの運転手が言った。

五條は伊勢街道の宿場町だ。奈良盆地から外れて独自の文化を作り上げた地である。その拠り所は間違いなく吉野川だ。吉野川の水利がこの町を渡来文化/渡来人の町にしている。そして吉野川はそのまま紀ノ川となり、河口の紀ノ國へ繋がっている。
なるほど・・紀ノ川の水利と高野街道が、紀ノ國と奈良を繋いでいたのか。なぜ。それに気が付かなかったんだろう。
後日、資料を漁り、この類推が正しいことを確認した。歩かないと見えないものというのは、ほんとうにあるもんだと、痛感した。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました