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小説・バーチェットのヒロシマ#06~おわり

バーチェットの記事が新聞に載る前日9月4日。小奇麗な国民服姿の小柄な男が同盟新聞社に姿を見せた。男は松田義一と名乗り、今和泉局次長への取次ぎを望んだ。その名前を聞くと今和泉は飛び上がるように立ち上がり、受付へ駆けつけた。
「kapppa!」今和泉は思わず言った。
「kappaはいません。俺はもう松田です。松田義一です。」男は苦笑いをしながら言った。
二人は、そのまま一番奥の応接室に入った。
「・・広島は?」席に着くなり、今和泉が言った。
「廃墟です。東京なんてもんじゃない。全てが燃えて、全てが瓦解しています。」kappaと呼ばれた男・松田義一が言った。
「そうか・・新型爆弾の威力はとてつもないということか。」
「まるで天から巨大な圧搾機で炎と共に押し潰したように、何もかも破壊されています。」
そう言うとポケットからコダックのフィルムケースを出した。
「みやげです。使えるかどうか・・使えばとんでもない爆弾になる」kappa/松田はシニカルに笑った。
今和泉局次長は黙ってフィルムケースを受け取った。そして言った。
「・・あの、イギリスの新聞社の記者は?」
「精力的に取材していました。記事は現場で、タイプライターを崩れたコンクリートの上に置いて書いていました」
「読みましたか?」指先でフィルムケースを回しながら今和泉局次長が言った。
「読みました。」
「どうでした?」
「素晴らしいレポートです。GHQはきっと列火のように怒るでしょうな。あれが新聞に載れば、彼はすぐさま強制退去になる」
「そうか・・ところで貴君の実家は?」
「燃え尽きていました。跡形もありませんでした。あ。預かった荷物は広島支局に届けておきました。皆さんおお喜びをしてましたよ。」
「すまない。実家は・・そうか。命がけで日本に戻ったのに、残念な結果だ。」
「いえ、うちは市内中心地でしたから、覚悟はしていました。」
「それにしても残念だ」
「・・では、私はこれで・・」kappaは立ち上がった。
そのとき、今和泉局次長はふと思いついた。・・この男なら可能かもしれない。今和泉局次長は急くように言った。
「松田さん、実は困ったことがありまして、あなたのお力を借れば何とかなるかもしれない」
kappaは立ち上がったまま言った。
「なんでしょうか?今回の件のお礼を兼ねて、出来ることは何でもしますよ」
「実は・・東京ローズなんです」
「東京ローズ?」松田が首を傾げた。
「はい、実はその中の一人が当社の社員なんですワ。当初は原稿の制作用資料の準備をしていたんですが、最後のほうは彼女自身がマイクの前に立つ羽目になっていたんです」
松田は黙ったまま話を聞いていた。今和泉局次長は話を続けた。「いまは私が実家で匿っているんですが、そろそろウチでは危なくなってきているのです」
「薔薇狩りですか。一人逮捕されましたな。・・判りました。お請けします。私が行方不明にさせます。安全なところへ移します。動いているのはOISです。戦略情報局です。なんとでもなる。」松田が事も無げに言った。
「よろしく頼みます」今和泉局次長が深く頭を下げた。
「大丈夫です。薔薇一輪くらい摘み残しが出ても、全体に影響はない。」松田は小さく笑った。
和今泉次長は、その松田の笑顔に小さく粟立つものを感じた。

・・このkappaとラテン語で呼ばれている男。いったいぜんたい何者なんだろうか?応接室から出ていく特徴のない小男の背中を見つめながら今和泉局次長は考えた。
紹介してきたのは提携しているマニラ新聞主幹だった。電信で「8月27日にkappaという者が貴君を訪ねる。米軍の極めてデリケートなセクションに属する人間だ。会ってくれ」ときたのが8月20日だった。そして27日の夜、訪ねてきたのが松田義一である。そのとき、松田はkappaと名乗った。
「河童?」今和泉が聞くと、松田が笑いながら言った。「ラテン語のkappaです。マニラではカパーと呼ばれていました。日本での名前は松田です。松田義一と言います。」
そのとき松田は、近日中に英国の新聞社デイリーエクスプレスの記者を伴って貴君を再訪すると言った。
「チャールス・バーネットという記者です。彼についてはぜひディリーエクスプレス本社に裏取りをしておいてください。彼は広島へ行きたがっています。本社もそれを望んでいます。私が同道します。広島は私の実家があるんです。安否をこの目で確認したい。」松田はそう言った。「近日中に、西日本は報道関係者の立ち入りが禁止されます。なので今回は私の個人的な旅行に、彼がたまたま同道したということにしたい。」
今和泉次長は、その途方も無い申し入れに唖然として何も言い出せなかったことを思い浮かべた。そして同時に東京ローズ/浜田幸枝のことを、思い付きで頼んでしまったことを一瞬後悔した。"南太平洋の黄色い死神"・・か。何をするために、この東京へ現れたのか?

・・ちなみに。連合軍が本格的に広島へ入城したのは10月6日の第41歩兵師団呉上陸からである。8月終わりから研究チームがヒロシマに入ることは有ったが、それ以上の進駐は10月まで無かったのだ。

実は、9月9日。ニューメキシコの原爆実験地に40名の記者群が招待されている。その席で原爆開発責任者だったレスリー・R・グローブ少将は「いかに原爆がクリーンな兵器であるか」を説明している。
この時の取材に参加したニューヨークタイムズ紙のウィリアム・L・ローレンスは、同紙に以下のように書いている。
「史上最初の原爆が爆破した現場、人類の文明の新しい段階の発祥の地であるこの歴史的なニューメキシコの土地は、8月6日の原爆投下以降にヒロシマの住民が死亡している原因は放射能であり、ヒロシマに入った人々が残留放射線で謎の病気にかかるという日本のプロパガンダに対し、最も効果的な反論を提供した。」・・と。
ローレンスは、原爆の効果についてニューヨークタイムズ紙に連載記事を書いた。この記事で、彼は、如何に原爆が安全で効果ある兵器であるかを書き綴っている。そしてこの記事はピューリッツア賞を受賞した。
比してロンドン・デイリーエクスプレス紙で「ノー・モア・ヒロシマ (No more Hirosima)」と叫んだウィルフレッド・バーチェットは、非難と中傷と嫌がらせで、その後、泥に塗れたままの10年を過ごした。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました