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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩1-4/交易のハブとしてのボーヌ

https://www.youtube.com/watch?v=GbzZgUbb3fY&t=384s

「ボーヌは殉教の嵐から逃れていた。この村にそのテの伝説はない。たしかにアグリッパ街道へ抜けるハブとして紀元前から存在はしてたが、中央から流れてきた洗礼者たちを魅了するモノは何もなかったのかもしれない。ガリア時代からの聖なる泉と荷役を休めるための場所。そして小さな葡萄畑があるだけだったからな。暮らしているのは土地のガリア人と、交易のために入って来たガロロマーナ(混血児)だけだったし・・彼らはローマの神々を信仰し、ガリアの神を敬い、そこになんの齟齬はなかったんだ」
「キリストも仏さまも神社も、みんな神様・・というわけね」
「ん。きっと七五三は神社に行って、結婚式は教会へ行って、葬式はお寺で挙げる・・そんな感じだったろうな。穏やかで爭いごとのない人々だったに違いない。もしかするとローヌ以北の村々はそんな所ばかりだったかもしれない。」「なるほどね、田舎のおばあちゃんみたいなやさしさね」
「ん。それで・・313年だ。ミラノ勅令を憶えているだろ?」
「キリスト教を宗教として正式に認めた勅令でしょ?」
「厳密にいうと、ミラノ勅令は信仰は自由に持っていいという宗教寛容令だ。コンスタンティヌス帝が発令した。背景は異教徒たちがローマ国内を跋扈し彼らを抑えきれなくなっていたからだろうな。これに乗じて、キリスト教もその信仰が公然と言えるようになったンだよ。
で。何が起きたか?」
「何が起きたの?」
「拡散だ。地方へ進出するのが伝道者ではなく教会が組織として出るようになったんだ。以降、ローヌ川を中心に幾つもの修道院がガリア各地に広がったんだよ」
「すごいわね。すごい機動力ね」
「ローマのパウロという男が発案したキリスト教は、ベースはミトラ教だった。どちらかと云うと都市型で、町に暮らす貧民街にいる者らに安寧を販売するビジネスだった」
「ビジネス・・ねぇ」
「安寧や安心は言葉だけで出来ている商品だから、広報費くらいしかコストがかからない。だから、人が集まるところでは比較的販売しやすい商品なんだ。・・その出自からもキリスト教は都市型宗教だったんだよ。地方は集金しにくい・・地方はたいして儲からないマーケットだった」
「あなたの話は、いつもお金からの話になるのね」
「お金は血だからね。流れなければ停滞して死ぬ」
「はいはい」
「その都市型キリスト教がソフティケーションされていくと、だんだんヤコブのような地方拡散型伝道を目指すものが生まれてきたんだ。これは、マーケットの棲み分けの原則だな。彼らはガリアとローマの交易に乗じて伝道者としてヨーロッパに広がったんだよ。もちろん各地で皇帝の権威を蔑ろにする不逞の輩として迫害されながらね。それが313年、唐突に解き放たれたんだ。キリスト教は組織単位で、堂々とガリアへ進出していけるようになっただよ。当時東ローマキリスト教教会と凋落寸前の西ローマのキリスト教教会は教義でぶつかっていたからね。ガリアへの地方拡散は西ローマの教会にとって生き残りのための僥倖だったんだろうな」
「そんなことになるとは・・まさか」
「ん。まさかコンスタンティヌス帝がオシャカサマでも気が付くまい・・という奴さ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました