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ワインと地中海#22/エジプトのワイン01

「コーカサス東部から拡散したワインを作るための葡萄栽培は、2000年ほどかけて南レヴァントに達した」
「それまで誰も葡萄からワインを作らなかったの?」
「んん、言い方がよくないな。WINEとはVitis viniferaの果実を発酵させて作った酒のことだ。Vitis vinifera以外の葡萄から作った醸造酒はワインではない。果実酒だ。O.I.V./Office International de la vigne et vin(国際ぶどう・ぶどう酒機構)に準拠しよう。つまりワインを作るために使用されるVitis viniferaが、2000年かけて南レヴァントに達したということ」
「なるほどね。葡萄を使ったお酒はもう有ったわけね」
「と、するほうがいい。葡萄汁から酒を作る技術は簡単ではない。修練と技術が必要だ。こうした技術はVitis viniferaを使用する前からノウハウとして有ったのではないか‥と僕は思う」
「初めにVitis viniferaあり、ではなく、あとからVitis viniferaに替わった、ということ?」
「ん。その方が妥当だろう。干ばつに追われてコーカサスから流れてきた人々が持ち込んだVitis viniferaは、栽培してみると圧倒的に土地の葡萄で作った猿酒より美味しい。誰が飲んでも判るほどの差だ。Vitis viniferaを口にすれば、二度と猿酒は飲まなくなるほどの違いだった。それがじっくりとソポタミアの北側を通って地中海東側へ達した理由だと思う」
「2000年かけて?」
「たった2000年だ。2000回しか植えられていない」
「あぁ、そういえばそうね。・・2000回ね」
「そして南レヴァント海岸に達したVitis viniferaは、そこからエジプトとアナトリアの東へ南北に分かれて伝搬していく。いずれも大麦の里だからな、ビールが普通に作られて飲まれていた。しかし、Vitis viniferaによるワインが伝搬すると、おそらく貴族たちに持て囃されたにちがいない。葡萄畑がナイル河口の西側に大きな生産地として立ち上がるんだ。初期王朝時代の始まりだ。BC3000年ころだ。既に南レヴァント地方ではワインがビジネスとして成立していたから、それが伝わったんだろうな。だから最初からエジプトはVitis viniferaが栽培されていた。おそらく最初はフェニキア人たちが交易として持ち込んだワインから持ち込まれてVitis viniferaの秀逸性が認知されたんだろう。それをエジプトでも生産し始めたわけだから、葡萄は最初からVitis vinifera。この葡萄を南北に分けた二つのルートからオリエンタリスOrientalis(エジプト)オクシデンタリスoccidentalis(アトリア東部)の祖型が生まれるんだよ」
「ナイルの河口にワイン畑が作られたの?」
「それも西側。場所的にはナイル河口デルタの西側・シレ・ビヘベイト・エルハガール・メンフィスあたりだ。理由は二つ、エジプト北部デルタは比較的冷涼な地区だからだ。暑いとVitis viniferaは正常に育たない。それと‥水だ。灌漑技術によってこれを確保しなければいけない。つまり丘陵でないと水が行き届かない。つまりとても手間のかかる栽培だった。そんな畑を維持できるのは王家だけだった。そして苦心を重ねて作り上げられたワインを王たちは愛でながら飲んだんだ」
「そんなに細かく資料が残っているの?」
「ん。エジプト人は偏執狂的な記録魔だからね、きちんと資料が残ってる。当時のワイン事情について僕らが知っていることは彼らが待越した史料からだ。すべてヒエログラフで、栽培法から醸造法まできめ細かに記録している。葡萄は棚式で植えられている。おそらく南レヴァントもその方式だったんだろうな。栽培法は踏襲しているはずだ。葡萄の実は収穫されると大樽に入れられる。そして数人の者が天井に張られた柵に掴まりながらこれを踏んだんだ」
「え~そんなことまでわかるの?」
「ヒエログラフだからな。絵として書かれてるンだよ。絞り出された葡萄汁は大樽下部にある幾つかの穴から流れ出し、大きなアンフォラ(土器)に収められる様子も精緻に描かれている。出土物として有名なのはツタンカーメンの墓で見つかったものだ。ツタンカーメンの墓は、ワインを詰めた甕が棺の周りを囲んでいたそうだ。26個あった。すべて但し書きが付いていて、どんなワインか、製造年月日と製造場所が記載されていた」

「製造場所まで判るの?」
「いや、書いてあるだけだ。残念ながら製造場所を具体的に確定するまでは解明されていない。・・実はそのとき発見された4個については『甘口』という表記がされていた」
「甘口!」
「ん。幼いツタンカーメンは甘口がお好みだったのかもしれない。それと白ワインが有った」
「白ワイン!」
「ん。そのうえ2個に「極上」という表記があった。驚きだろ?」
「ツタンカーメンの墓ではないが、同じく王の墓に納められたワインの甕に"アジアから来た"という表記がある。おそらくフェニキア人が持ち込んだワインは特別品だったのかもしれない」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました