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ワインと地中海#27/フェニキア人とギリシャを繫ぐもの

ORTO WINEのオーナーから、ボトルを海中に沈めて熟成させているという話を聞いた。それをぜひ買いたいとお願いしたら「明日の昼に取りにおいで、朝陸揚げしておくよ」と言われた。これにはびっくりした。というわけで翌日もサン・テラズモ島へお邪魔することになった。
昼食を近くの店で済ませてからフェリーの船着き場Capannoneまで歩いた。
「ラグーンの中にワイナリーって他にあるの?」
「いまはない。古い時代にはあったらしい。しかしラグーンは屡々氾濫するからなぁ。葡萄は潮にやられればひとたまりもない。いまはORTO WINEだけだよ。ベニスの商人たちは、アドリア海沿いで栽培された葡萄のワインを売っていた。それとベネトのものな。タリアアメンド川やメドウーノ川のものだ。ベネト内陸部のワインは水路でラグーンまで運ばれて交易に利用されていた。ワインは重要な交易品だからな。それは2000年間変わらなかった。
ワインの話をすると、必ずフェニキアの話からすることになるんだが・・フェニキア人ってとても重要な立ち位置にある。しかし彼らが何者だったのかは未だによくわからないままだ。彼らはフェニキアと自称はしていなかった。カナン人と言っていた。遺されている言語系から考えても、おそらくレヴァント海岸が出自なのは間違いない。しかしこの「カナン」という言葉で表すには、海岸という地理条件からも文化の外縁部だったから、雑多な民族が溜まる地域だったから、特定の民族を以てこれをカナン人とするのはムリだ。まあむりやり括るならセム語系のアムル人というくらいしかない。しかしアムル人は陸の人だ。フェニキア人は海の人だ。ここに大きな問題がある。なぜかれらは『海の人』になったのか?」
「フェニキアというのはギリシャ人の呼び方でしょ?」
「ん。赤い人という意味だが、彼らが特産にしていた紫の染料を『赤』と称していたのかもしれない。赤い服をまとっていたという説もある。フェニキア人は交易の人だった。しかしヒッタイトやエジプトの勢いが衰え始めると、彼らはさらに西へ広がり始める。面白いのは、その拡大期に一度も帝国化しなかったことだ。一つ一つの植民地が自律して商いで結びつく国家になった。連合国化だな。
僕はその国家形態は最初の成立時に原因があったように思う。
地中海・東岸・北岸は、地中海の蠕動によって地上部が大きく撓んでいるんだ。海岸の傍らに山間部がある。狭い平野部は山に隔絶されてる。渓谷・断崖・山間が連続するんだ。一つ一つに村が形成されてもこれを陸路で結ぶのは至難だ。海路しかない。それが帝国化を阻み海洋民族化していった理由だろうな。
僕はもうひとつここに、ファニキアの気質を産み出す要因があったと思う。
レヴァントを含めて地中海・東岸・北岸は地味が貧しい。海も海棚が狭いから漁獲が乏しい。土地の産業は林業くらいしかなかった、実はそのりんぎょうを支えたのがエジプトなんだ。エジプトはレバント杉を彼らから買った。そうしたニーズが海洋を利用した交易の道をアェニキア人たちに示したんだろうな」
「最初から海洋国だったわけね」
「彼らは木造技術に長けていた。それがそのまま造船技術に繋がったんだろうな」
「土地に馴染んで、土地から民族が生まれるわけね」
「まさにそのとおりだ、その意味ではエーゲ海北岸もそうだ。彼らも貧しい土地から始まって分断している集落がネットワーク化し、互いの交易によって進化したんだ」
「ギリシャ人?」
「ん。ギリシャ人は間違いなくフェニキアの道を模倣した。しかしフェニキアにしか作れないものがあった。紫の染料だ。これは後代まで彼らの特産物として残ったんだよ」
「なるほどねぇ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました