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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩3-1-2/ランス旧市街散歩でガロロマンを見つめる

https://www.youtube.com/watch?v=jw126xBDFAY

Cryptoportiqueへ寄った帰りにLe Cryptoへ寄った。
6 Pl. du Forum, 51100 Reims, フランス
https://www.reims-tourisme.com/activite/cryptoportique/
Le Cryptoはフェリウム広場にある。Cryptoportiqueの周辺には幾つも秀逸なレストランがあるが、個人的には此処がおなじみだ。
14 Pl. du Forum, 51100 Reims, フランス
+33326252781
食事をエンジョイした後は、少し長いコーヒータイムを外のテーブル席に取ってもらった。
「いつ行ってもクリプトポルティカスは観光客でいっぱいね」嫁さんが言った。
「悪いな、なんども付き合わせちゃって。いつ行ってもあスこは飽きないんだよ。ガロロマンにどっぷり漬かれるんだ」
「たしかにあんなに遺跡として残ってるのは珍しいわよね。ローマ時代の遺跡って、どこ行っても辿り着くと・・あれ?これだけ??というものですものね」

「ん~そうだな。ガロロマンを偲べるのはやっぱりリヨンが中心だよな。北へ来ると、ほとんどは残っていない。ランスは残っている方なんだ。僕が何度もランスを訪れるのは、ワインだけじゃない。北を走っていたローマ道がクロスした最重要拠点だったからなんだよ。ランスには、大きく欧州大陸に拡散したローマの残り香が一杯残っているかなんだ」
「クリプトポルティカスも、その中のひとつ・・というわけ?」
「ん。でもね、じつはね。最初に作ったのはローマ人じゃなかったらしい」
「あらま」
「紀元前80年ころだったらしい。レミ族が作ったらしい。レミ族のデュロコルテロンDurocorteronだったようだ」
「デュロコルテロン?」
「丸い要塞という意味だ。レミ族のオッピドゥムだ」
「また知らない言葉が出てきた。なに?オッピドゥムって??」
「オッピドゥムってさ。ラテン語で『防御された(要塞化された)行政センターまたは町』という意味だ。レミ族の要塞都市だよ」
「レミ族って、よく名前が出てくる一族ね」
「ん。レンヌReimsの語源がレミ族Remiなんだ。レミ族の村という意味だ。レミ族という呼称はローマ人がつけたものだ。カエサルのガリア戦記にそう書かれている。プリニウスもRemiと呼称してた。もう少し古いストラボンとプトレマイオスはRhē̃moiと呼んでいたんだ」
「ほんとは何て言ったの?」
「わからない。彼らは文字を持ってなかったからな。でもREMOSという言葉に近い音だったのかもしれないな。YAMATOもそうだろ?大陸から日本列島へ流れてきた華人たちはYAMATOとは言わなかったはずだ。東の太陽が昇ってくる処にあるから"日のもと"で日本。華語の言葉で発音するならJIPPONだ。YAMATOじゃない。倭の国を和と呼び、大いなる和を大和と呼び、これをYAMATOという言葉を充てたのも彼らだ。・・おそらく此処でも同じようにRemiという言葉が採用されたんだと、僕は思うな」
「なるほどねぇ」
「でもさ。インドヨーロッパ語で"最初のリーダー"というのがprei-mosなんだ」
「P~reimosね。それが語源かもしれないわね」
「実は判らない。まあ、でもレミ族とローマ人のように彼らを呼ぼう」
「はいはい」
「始め、彼らはもう少し北のNizy-le-Comte, Thugny-Trugny, or Acy-Romanceに住んでいたんだ。とくにAisne valleyには大きな集落が有って、早くから地中海の商人と交易を行っていたんだよ。・・錫だ。錫を地中海からやってくる商人たちにレミ族は売っていたんだ。青銅はね、錫がないと作れない。必須だ。だからローマの商人たちはこの辺りまで錫を買いに来ていたんだよ。つまり北ガリアは、ローマ人が言うような未開の民じゃなかったんだ。実は相当豊かだった。REMOという交易のための銅貨さえ出しているんだ。
ガリア学者Jean-Louis Brunauxはガリアの豊かさを大いに語っている。

「フランス語でしょ?」
「ん。ごめん。フランス語」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました