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骨董や古いものと美術作品のこと

20代から(もしかしたら10代の頃からかも?)ちょっと変わった古いものに興味があった。旅先で骨董市を覗いたりするのが楽しくて仕方がなかった。古い時代に作られて、その品物がどんな場所でどんな人に使われ、こうして自分の目の前にあるのか。そんなことに何だかとても興味をひかれた。モノが自分を招いているような気がした。作られた当時のこと、生産されるようになった経緯やその品物の特徴など。本で読めばいくらでも知識が得られた。参考資料を読めば、面白いようにスルスルと頭に入ってきた。

元々、アウトドア派ではなく、インドアでひとりで何かをしたりするのが好きだった。集団行動は大の苦手だったから、学校を卒業した時は心底ホッとしたわ。仕事に行っても、「自分がここに来ているのは仕事をするためで、友だちを作るためじゃない。自分の働きでちゃんと結果を出せれば誰も文句は言わないはず」と思っていた。

ひとりで気ままに過ごす事。一人でふらっとどこかに出かける事が何よりの癒しで楽しみだった。時は1980年代のバブルの真っ只中で、日本の国全体が景気が良くお金持っていて浮かれた状態だったよ。なんだかその浮ついたイケイケ状態に馴染めず、ひとり周囲から浮いている自分をどう扱って行くべきか全く分からなかった。

その違和感や孤立感を癒してくれたのが、アートや骨董だった。静かにそのモノと向き合えば、いつも自分を受け止めてくれる。その時間がどんなに自分を慰めてくれたか。その時の自分を考えると、何だかその孤独感とか一人暮らししていたワンルームの部屋のこととかを、少し懐かしく思い出すのだ。

古いものやアートの持つ、独特の美しさ。凛とした佇まい。どうしてこの世に生み出され、様々な人の手を経て今現在もここにあるのか。不思議な巡り合わせで自分の元にやってきたモノたち。古いものとの出会いは、モノが呼んでいたと感じることさえ少なくなかった。

例えば自分一人の部屋。画集をゆっくり眺めていると、見つめている絵が自分に何か語りかけて来ている気がした。人気のない、静かな美術館や博物館で展示してある作品も何事かをこちらに訴えているようだった。言葉に音楽や色を感じたり。こんな感覚って、他の人は感じないのかな?

そんな変わった人だったんだよね、みけ子は。周囲に馴染めなかったけど、それでも何とかここまで生き延びて来たって気がしてるよ。その時々に対峙していた古いモノや美術作品が何だか自分に生きる力をくれたって気がしている。

骨董や美術作品が若い頃の自分にくれた豊かでかけがえのない時間や癒し。それを多くの人に知ってほしいと思うのだ。そんな気持ちで自分はネットショップに並べる品物を選んでいる。



↓川上澄生は創作版画の世界に新しい境地を開いた版画家です。親しみやすくエキゾチックなモチーフを得意とし、コレクションアイテムとしても多彩な作品を残している芸術家です。



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