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身の丈に合った幸せを見つけよう/ダンナの例から考える

みけ子のダンナ。買い物が大好きで自分の手持ちのお金で買える欲しい物があると後先考えずに買っちゃう。本や古着、骨董のうつわなどだ。整理整頓や掃除はできない。自室はモノで溢れかえる。好きな物に囲まれているとはいえ、部屋の中がゴミ屋敷状態だ。年末の大掃除も、みけ子に何度も言われてギリギリになってようやく手をつける始末。

↑結果、部屋がキレイに片付いたかどうかは確認していないので分からない。多分片付いてないと思う。みけ子がうるさく言うので部屋に収まらなかったモノは部屋に収納だけはした💦

たくさん物を持っていることが豊かって思いから、抜けられない。片づけられない掃除もできない。これは何か心の病を抱えているのか?と疑ってしまうね。

みけ子は要介護になった両親の、家の片付けをほぼ一人でやった。結局長女である私に全部任せざるを得なかった両親との出来事から、自分で片付けが出来ない人間が後になって周囲に多大な迷惑をかけることを思い知った。

それもあったし、ステキなモノや好きなモノでも量が多すぎればごっちゃごちゃになる。それがどうにもイヤだ。片付けてスッキリさせたいと常に考えている。

少し前までここはモノでいっぱいでした。
最近やっと片付けてサッパリしました。

だからダンナには事あるごとに言うのだ、「あなたが死んだら、あなたの持ち物は全てゴミとして処分される運命なんだからね。自分が何とか出来るうちに片付けたほうが良いんだよ」と。

夫婦とは言え、元々は他人だからね。身の丈に合わない、きちんと収納も出来ない量の物を所有したって、最後に片付ける身になればやっぱりそれは「ゴミ」にするしかないだろう。多少、骨董的な価値のある品物だって適正に次に欲しい人の手に渡せるかどうかは分からない。だから自分で何とか出来るうちに、持ちすぎているものは処分換金するなど、多少は行動を起こして欲しいものだ。

所有物が山ほどあっても、死んだら何一つあの世には持っていけない。そんな簡単なこと、子どもだって分かるのに。

所有する物の適正量を知る。適正量以上になると整理整頓や適切な管理が出来なくなる。どこに仕舞ったか分からなくなる。適当に積み重ねておいて、地震の時に崩れたり倒れたりして壊れる。それはイカンでしょう。

モノだけじゃない。身の丈にあったサービスをちゃんと知ることも大切だ。少し前まではダンナはよく「京都の俵屋(高級旅館)に泊まってみたい」とか言っていた。行くのはいいが自分でそんな高級旅館に泊まってゆったり過ごせるの?そんな経済的な余裕あるワケ?

高級老舗旅館で堂々と振る舞い、そのもてなしを享受するには、常日頃そんな場所に慣れていないとただドギマギするだけ。寛ぐよりは緊張してゆっくりなんで出来ないよ。そんなことも分からずに憧れが叶わないと、不満な状態を常に抱えて生きるのなど、ハッキリ言って愚かだし虚しいだけだよ。

身の丈に合った事や管理出来る適正量を知る。自分にはどんなモノが合っているのか、どの程度のことを心地よいと感じるのか、常に考えたい。



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