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非公開マガジンを公開します「両親2人とも要介護だった」

書いてから1年半近く、非公開にしていたマガジンを公開に設定し直しました。書いていた当時は公開扱いにしていました。ただ、書いてしばらくした後読み返して「ここまでぶっちゃけて良いものか?」って思ったんですね。

それを今どうして公開にしたかと言いますと「読み返して見て、そんなに支障があるような酷いことは書いていない」って思ったからなんです。

この両親の介護について書いた時は、まだ両親が亡くなってからそれ程時間が経っていませんでした。まだ、自分の中では体験として生々しくて、それをこのまま公開し続けていいのか?と考えたんですよ。

あの当時の苦しかった事を思い出すと、自分でもまだ書いている内容によっては、読み返すと心拍数が上がるような気持ちになったりしましたし。

だけど先日、何となく書いたものを最初から通して読んで「別に非公開にする程でもないか。いいや、公開にしちゃえ❣️」って思ったんですね。書いてある内容で、介護施設への支払いの事とか名前や場所は伏せていますが、領収書の項目も金額もちゃんと分かるように載せています。

もしかしたら、それが今家族の介護で苦労されている方の、何か参考になったりするかも知れません。

実際、当時の支払いの明細を見ると、年金しか収入のない公務員だった父の、支給される年金のほとんど大半を介護施設への支払いに充てていました。私が両親の介護をやり始めた時は、昭和時代に建てられた一戸建も自宅としてありました。しかし、両親2人ともの介護費用は年金だけでは全く足りず、自宅は父を説得してかろうじて売却出来ました。

あの時、父の認知症がもう少し進んでしまっていたら、父が亡くなるまで自宅不動産の売却なんて出来なかったでしょう。本当にあの時はギリギリの選択で自宅を売却、その費用を介護費用として使う事が出来ました。考えると、本当に間一髪だった感じです。

その辺りも含めて、みけ子が両親の介護を全面的に引き受けていた3〜4年の出来事をつぶさに書いています。

noteに書き始めて日も浅く、拙い文章ですがここに書く事でたいぶ起こった出来事を客観的に見られた気がしています。全部で25本の記事です。

今、正にご家族の介護に直面している方やこれからそのような立場になりそうな方も、一つの参考としてお読みいただければ幸いです。



↓支援が必要な人の目に止まっていただければ幸いです。


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