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怠惰な多忙を抜け出して、春の京都へ行きたい(3.17-3.20日記)

3月17日(日)

春の京都、春の京都。この言葉をお守りみたいに、なんとか踏ん張っている。鴨川で桜を見る、それだけで十分。と思いつつ「京都行きたいリスト」はどんどん長くなってくる。

渾身のリサーチをして出来たリスト(ほぼ食べ物)を送ろうとしたら、まさにその相手から電話が。そのまま1時間くらい「ここは朝ごはんだね、ここは予約して行こう」とお喋り。「これが最後じゃないし、少しずつ行けばいいか」と言われて、長いリスト万歳と思った。

彼は「春の京都がいちばん好き」だと言う。「春の京都では何したらいい?」と聞いたら「ただ鴨川でお花見したらいいんだよ」と言っていた。

実のところ、春が少しだけ苦手だ。色んな感情がふんわり呼び起こされてしまうし、お花見の予定がないと寂しくなるから。大宴会の隣でも、ひとり満開の桜の下にごろんと寝転べるような勇気があればいいのだけれど。

春の京都は誰もが浮かれているらしい。私もそこに混ざれるかな。春に浮かれる人になりたい、今年こそ。


3月18日(月)

晴れ間がちらりと覗く、くらいには、週末にしっかり気持ちを整えたのに。夕方、落雷にあってしまった。怒りの気持ちを抱くのは苦手だ。投げ返すのも、溜め込むのも苦しいから。こんなことに時間を使いたくはないなあ、と思う。人生は有限なのに。


3月19日(火)

「六本木 韓国」というSEO対策のために付けたとしか思えない店名の店で、疲れ果てた同僚とふたり、思いのままに好きなものを頼んで食べる23時半。「今日は胃が疲れたからチキンはいらないな」と言いながらフライドポテトを頼む同僚は、多分相当疲れている。心の栄養補給をして解散。(体は糖と脂質を補給)


3月20日(木)

私だけじゃない。みんなおつかれさまです。年度末だもんね。もうすぐ春だから、春が来たらたくさん浮かれよう。

「森の生活」を読んでからというもの、ソローが脳内で問いかけてくれる。「怠惰な多忙だね」と。そうかも。

怠惰な多忙より、春の京都が似合う人になりたい。

本当はもっと書いていたい。色んなものを見て、人に会って、ひとりになって、考えて、また人に会って、それを繰り返していきたい。

たまにslackがメタバースみたいに思える。アバターを操作しているみたいな気持ちになる。

週末、逗子へ帰ろう。移動に飢えている。思考のパイプがドロドロに詰まっている。一度流したい。天気が良ければ海へ行って、春の太陽がゆっくり沈むのを眺めたい。アイスも食べなきゃ。

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