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休んでも世界は待ってくれる(1/29-1/31日記)

1月29日(火)〜1月31日(木)

逗子に帰り、2月に向けて数日間の養生タイム。
とはいえ、東京から離れて数日逗子でリモートワークするだけ。

物理的距離と心の関係について、最近よく考える。物理的な距離は良くも悪くも心に作用するのだなと痛感することが、この1年度々あった。

逗子、東京。それぞれに違う特性があるから、自分が今どんな状態か観察して、どちらで過ごすかを決めている。

たとえばフルエンジンでいきたいときは六本木のオフィスに週5でいるし、エンジンを切りたいときは逗子へ行く。

それでも自分の中の風通しが悪いと感じたら、もっと遠くに行く時もある。(去年は京都やパリへ行った)

今回は脳がスイッチを切れず、眠りが浅くなってきたなあと感じたので、逗子へ。

逗子にいると、それだけで強制的に心がやわやわになるから良い。大したことはしていなくて、必ずすることといえば、CREMAHOPで母とアイス食べることと、ひとりで海に夕陽を見にいくことだけ。

CREMAHOPは逗子にあるアイス屋さんで、毎月、母と「今月のフレーバー」を食べながら近況報告をし合うのが恒例行事になっている。

今回は1月の限定フレーバー「ニセコの日本酒」を食べた。

甘酒みたいで好きな味

夕方の海は、いつもひとりで行く。日の入りの30分くらい前に家を出ると、ちょうど夕日が空をめいっぱい染めるタイミングで海に着く。

海までの道、川に夕焼け雲が反射していたり、カフェからコーヒーの良い香りがしたり、小さなときめきがたくさん。きょろきょろしながら、海へ向かう。

だけど、出発が遅くなってしまったときは「急げ急げ、夕日が沈むぞ」と競歩くらいの早歩きをしている。絶対見逃すものか、という私の強い気持ちは相当なものだ。だって、夕焼け曇は日によって色が違うから、今日の夕焼けは今日しか見れないのだ。

ある日はオレンジで、ある日はピンクと紫の日だった。

3日間、夕方の海へ通ったけど、全然人がいなかった。でもひとりだけ、毎日同じ場所で太極拳をしてるおじいちゃんがいた。

夕焼けに照らされながら、大きく身体を動かす姿は、躍動感があって格好良かった。私は心で勝手に「サンセット太極拳」と名付けた。

一方私のルーティンは、家まで帰る途中で、ミサキドーナツさんに寄ること。大好きなシナモンシュガードーナツをもぐもぐ食べながら帰るのが好き。あちらがサンセット太極拳なら、こちらは日没ドーナツ。


後輩とZOOMを繋いでいたら「いつもと背景違いますよね、どこにいるんですか?」と聞かれた。

「疲れたから逗子にいるよ」と答えると「前から思ってましたけど、時間の使い方上手ですよね」と言われた。

いつだったか、その後輩が「自分、生きるのが下手なんですよね」と教えてくれたことがある。20代なのに転職回数が多すぎて、みたいな文脈だったと思う。

私も生きるのが上手いかと言えば分からないけれど、自分自身と生きていくことは、歳を重ねるごとに上手になってきたかもしれない。

みんなが出来て私には出来ないことが山のようにある。でもその分、私にしか出来ないこともあると思えるようになった。

私がコンプレックスに思っている部分も、私の代わりにまるっと愛してくれる人がいることを知った。

休んでも世界は待っていてくれると思えるようになったから、休むことを選べるようになった。

そんな風に少しずつ、変わっていっているのを感じる。

今年も変えたいことがひとつあって、それは自分のペースで過ごすことに罪悪感を持つのをやめるということ。

案外みんな、好き勝手にやっているし、それで嫌われたりはしていない。むしろ楽しそうに好き勝手やっている人の方が、いつも朗らかで愛されている。

でも私はそれが本当に苦手。家族にも友達にも恋人にも言えない本音がいつもある。がっかりされたくないのだ。

でもだんだん分かってきたのは、私の好きな人たちは誰もそれでがっかりなんてしないこと。

だから今年は、なるべく好き勝手にやってみたい。仕事もプライベートも。

駆けたり、歩いたり、休んだり。好きなように緩急つけてやっていきたい。抑えるべきとこは抑えればいいのだから、あとは自由に。

どこまでも根深く「それをやったら、がっかりされてしまうかもしれない」と思う自分はいる。でも、そこを超えた先には、予想もしない出会いや時間があるような気がする。それを知りたい。

だから不安になったら「とにかく、やってみよう」と心で唱える。大丈夫、頑張って挑戦して、それが上手くいかなかったとして、私は私のことを嫌いにはならない。

そんな感じで、2月もやっていきたい。

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