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帰省して得たものと、マリンブルーのダウンを着た男の子の話


京都駅まで向かう電車は予想よりもすいていた。


通路を挟んだわたしの目の前には、小さな男の子が座っている。
やわらかそうな栗色の髪の毛、肌は白くて、マリンブルーのダウンがよく似合っている。
4歳ぐらいだろうか。
母親はすこし離れた場所に立って、スマートフォンをいじっている。


揺れる車内で、その子はわたしをじっと見つめている。
わたしは見つめ返して、「ごめんね」とつぶやく。
「変なものを見させてごめんね」
さっきから涙が止まらなくなっている。




“家族という存在が実体を得た”帰省だった。「なにを言ってるんだ、こいつは」と思われそうだけど、本当にその通りなんです。
わたしのなかで家族というものは、家族という形式だった、けっこう長い間。
ずっと実体がなかった。
内実のようなものが見当たらなかった。
うまく言えないけど、そうだった。


父、母、兄、わたしの4人家族でずっとやってきた。
兄もわたしも、不自由なく育ててもらったと自覚している。
習い事もさせてもらったし、塾にも通わせてもらった。大学にも進学できた。


わたしたちは時期こそ違うものの就職を機に実家を離れており、そのためここ数年あの家には父と母の2人だけが住んでいる。
実際のところ、兄はよく足を運んでいるらしかった。母伝いに聞いていた(わたしたち兄妹はお互いの連絡先を知らない)。
その家に、約2年ぶりに家族全員が揃った。


実家を離れてから気づいたのだけど、
一緒に暮らしていたときは、なんというか、わたしと主に親との間のすべての歯車が噛み合わなくって、ガキン、ガキンと歯と歯がぶつかりあう音がずっとついてまわっていた。
(原因はいろいろあるのですが、具体的なことは今回は書かずに進めて行きます)


兄はそんなことはなくって、うまく歯の形状を変えたり、速度を変えたりしていた。
うまくやれる兄と、噛み合っていないのに無理くり回し続けるわたし。
回し続ける以外の方法が、わからなかった。
でも回し続けることにも疲れて、途中から回すことを放棄した方が楽だと気づいた。
放棄してからは、表面上はほとんどなにも問題がないように見えた。本当は問題だらけだった。
でも、その当時の最適解はこれだった。


そんななかで交わされる「ありがとう」も「ごめんね」も、どこか空虚で、わたしはこの家のなかのどこに実体があるのか、見つけ出せなかった。


今回の帰省で、どうして実体を得たのか、正直よくわからない。
なにか大きな出来事や事件があったわけじゃない。
ただ、数日間一緒に過ごした。
一緒に買い物に出かけ、紅白歌合戦を見て、おせちを食べて、近所の神社へ初詣に行った。


先に帰った兄が「あいつってあんな性格だったっけ?」と、ぼそっと母に言ったそうだ。
あんな性格ってどんな性格だったんだ。
でも、もしわたしのなにかが変わって、それが良い方向に向かっているのなら、それはたぶんわたしと関わってくれたひとたちのおかげなんだと思う。


「友人にお土産を買うから、少し早めに出るね」とわたしが言うと、「いま京都駅でなんのおみやげが流行っているか見ようよ」と母が言ってくれた。
同じパソコンの画面を覗き込みながら、”あ、一緒に暮らしているときに、なんでこれができなかったんだろう”と思った。
悔しくて、涙が出た。
「もうホームシックになったの?」と言われて、咄嗟に違うと思ったけど、わたしは喋れそうになくって、首を横に振った。


与えられるやさしさと過去への後悔とになぶり殺されそうになりながら、これを書いている。


本当は、実体はずっとあったのだと思う、わたしがそれに気づく力量のようなものがなかっただけで。
24歳にもなって、まだここかと思う。
でも、こうやって見落としていたものを、じぶんの実感を持って迎え入れることができるなら、それはきっといくつであっても幸福なことなのだろうと思う。



新幹線のなか、あのマリンブルーのダウンの男の子のことを思い出す。
見ず知らずの人間の涙をじっと見ていた。
不思議なことに、わたしは彼になにか大事なことを許されている気分だった。


彼はもう家に着いただろうか。
彼にもいつか、わたしのように涙が止まらなくなる日が来るだろうと、想像する。


まだまだ遠い話かもしれないけれど、彼が涙を流す側に立ったとき、彼の向かいの席に小さなこどもが座っているといい。
目と目を合わせて、ふたりのなかのなにかが交差するといい。


photo by ちょい


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