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『五月の虹』に行った日のこと。


昼間の強い日差しも、この時刻になるとだいぶ落ち着いてきた。
17時をすこし過ぎた頃、千駄木駅へ着いた。


Google Mapに“谷中トタン”と入れてだいたいの場所を把握し、画面を閉じて歩き出す。
なんとなく、スマートフォンを片手に画面とにらめっこしながら辿りつきたくなかった。
あとはじぶんの身にまかせてみようと思った。


西にかたむいた日を背中に浴びながら、進む。
トタン、という言葉をくちのなかで転がしつつ歩いていると、商店街と思わしき場所に出る。
人だかりができているのは、ところてんが名物のお店のようで、「こんな暑い日には冷たくて、つるっとしたものを食べたくなるよなぁ」とこころのなかで頷きながら前を通り過ぎる。


もう少し進むと、奥のほうによりいっそう賑やかな商店街が見えた。
ここがうわさのゆうやけだんだん、なのか。
さっきよりも細い道にずらっと並ぶお店。行き交うひとびと。すれ違う半袖の少年の肌は、もうすでに焼けている。
簡易イスに座って談笑しながらお酒をのみかわす大人たち。決して広くはない場所でぎゅうぎゅうになりながら。でもみんな楽しそう。
その近くに座る外国人のお姉さんの足もとでは、犬がねむっている。
犬種はわからない。黒い毛と茶色い毛が混じった、利口そうな顔立ち、にみえる。
前方に目を移すと、長い歴史を感じる惣菜やさん。いいなぁ。


しばらく進むと右手に、細い小道があった。
たぶんここだ、と思い進んでいくと、奥にすこし人だかりができているのが見えた。


いわゆるギャラリーのような場所を想像していたので、すこし驚いた。
民家のようだった。
開いた玄関には、たくさんの靴が並んでいる。
入ろうか、すこし外で待とうか迷っていると、ちょうど若い女性が3名ほど出ていき、彼女たちを見送るトナカイさんと目があった。
「どうぞ」と声をかけられて、わたしは玄関をくぐる。
「お邪魔します」と口に出して畳にあがった。


1階をぐるっとながめる。
奥に小さな台所とやかんが見えて、思わずほほえんでしまう。
その手前で珈琲をいれているショートカットの女性が、きっとたまきさんだ。


主な展示は2階にあった。
長いスカートのすそをゆるく持ち上げて、階段をのぼる。


2階にはまばらにひとがいた。
わたしも彼らに溶け込む。
ゆっくり時間をかけて、ひとつひとつ、正面からみつめる。
すすむごとに、足の裏で畳みのやわらかさを感じる。
開いた窓から、蔦の緑がみえた。この家が蔦に囲まれていることに気づいた。


帰り際、ポストカードを2枚買った。
トナカイさんが、ハルジオンときのこのポストカードを丁寧に封筒に入れてくれる。
ときおり目線を合わせながら(瞳がきれいな方だった)、二言三言ことばを交わし、外へ出た。


だいぶかたむいているけれど、まだ日が出ていた。
時刻は17時48分。すこし風も吹いている。
すぐに駅に向かうのがなんだかもったいなくて、ポストカードが入った封筒を片手に、谷中をあてもなく歩いた。


行きしなと同じ道を通りかかると、さっきまで飲んでいた大人たちが引き続き飲んでいた。時間が止まっていたみたいだ。
その近くで、今度はべつの犬が寝ている。
茶色い毛に包まれた、大きな犬。やっぱり犬種はわからない。
惣菜やさんのコロッケは売り切れていてすこし残念だったけれど、それすら不思議と愛しいなと思った。


次の目的地へ向かうため、また千駄木駅まで歩く。
今度は、日が前方にあった。
建物のすきまへ吸い込まれていく間際、封筒のなかにその色を閉じこめることができて、なんだかうれしかった。



それぞれの写真、詩に相対するなかで、じぶんの心のまんなかあたりに渇いた場所が、砂漠の地面のような場所があって、そこに、やわらかくて透明な水が湧いてくるような感覚を覚えた。
はじめての感覚だった。


それは、なみなみと溢れることはなくて、両手でひとすくいできるぐらいの量で、でもその水がたぶん、通りかかった旅人のこころを癒し、花や草木の命をつなぎとめる、と思う。
つなぎとめるのだと、思います。


うまく言葉にできないな、でもたしかに感じたことがあって、そう、あったんです。
それを、実感できるうちにここに残します。


また別の季節に、トナカイさんの写真と詩に会いにいきたい、会えますように。


#日記 #エッセイ #五月の虹 #トナカイさん

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