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< ヴィパッサナー回顧録 人生掘り下げの旅へ・・・そもそも何でヴィパッサナー?>

知っている人は知っている、
知らない人は全く知らない
ヴィパッサナー瞑想。

10日間の瞑想コースを終えて、
そこから得たことを咀嚼して
書いております。

ここに来まして書こうと思うのが

「そもそも何故ヴィパッサナーに行ったのか?

ヴィパッサナーに行くと、どんなことを学べるのか、

得られるのか?」

です。

ヴィパッサナー瞑想は、
そもそも
宗教とは何ら関係ありません。

裏を返すと、
どんな宗教の人でも実行できて、
恩恵を得られる瞑想ということです。

私が理解しているのは、
ヴィパッサナー瞑想によって得られるのは
「生きる技」で、

じゃあ、どんな風に生きる技なの?というと、

生きている間に
すべては無常であることに気づき、
渇望や嫌悪を抱かないように注意し、
執着しない人生を送ることです。

人を傷つけず、
人に愛と慈悲を施し、
そして自らも愛に満たされる、
自我を消して生きる方法。

全てが無常というのは、

世の中のあらゆるもの、
あらゆること、
自分の身体でさえもが、
生まれ、
消えていくものだと言うことです。

感情も、体感も、
物質も、
全ては消えていく運命にあります。

そして私たちは、
その「消えていく」という事実を受け入れられず、
消えゆくものに執着するのです。

執着は、
飽くなき欲望を生みます。

そしてまた、
私たちは物事を「良い」「悪い」と
判別する習性を体得しています。

悪いこと、ものが現れると
それを嫌悪し、排除しようとし、
怒りが生まれたりします。

その怒りもまた、
自分を苦しめる要素になります。

ヴィパッサナーとは、
その欲望や嫌悪などが植え付けられた
潜在意識をクリアに浄化していき、

何をも過剰に求めず、
執着せず、
嫌悪せず、

感情に自分を翻弄されることなく
心穏やかに
他者の幸せを願い、実行し、
その行動によって自らを満たし、
生きていくための
心の浄化の技です。

簡単に書きましたが、
果たして、これが出来ている人が
自分を含めて
世の中に何人いるでしょう???

私たち人間は、
自分の得た過去の経験や教えなどを
自分流に歪曲するのも得意です。

「教えはこう言っているけれど、
これは現代に当てはめると
こう変えることも出来る」とか、

「自分はこの部分までは
しっかり守っている、
実行している、

この部分は、現代において必要なことだから
出来なくても仕方ないか」とか。

この「自己歪曲」は
宗教の教えでも同じように行われています。

宗教だろうが、思想だろうが、
発端(入り口)と向かう先(目的地)は
実は全て同じです。

それを、宗派や、
携わる人間の自己利益のためなどに歪曲していくことが、
教え、思想自体の崩壊につながっているのですね。

時代がどう移り変わろうが
私たち全ての人間が必要としているもの、
全ての問題を解決するものは、
「愛」であり
「愛」でしかないのです。

愛が神であり、
慈しみが神であると
ヴィパッサナーでも言っています。

でも、
これは真実だなあと感じます。

スタートも、行き着く先も
全ては「愛」。

自己愛、他者への愛、
全てはそれだけです。

他のものは、すべて副産物です。

ヴィパッサナーのすごいところは、
95%以上と言われる、
私たちの行動を支配している潜在意識を、
瞑想というもので浄化していくことが出来ると言う
考え方です。

潜在意識の浄化は、
まさに私が熱望することでありました。

自らの執着や
欲望、渇望を手放していくことも、
私の望むことでもあります。

それを「体感」として行っていく。

この体感も、
私が望んでいたことであり、
必要な方法だと
感じていたことでもあります。

頭で考えるだけではなく、
身体で感じる、行う。

まさに、的確に
今 必要な機会が
訪れたということですね。

私に限らず、
日本に限らず、
世界は今、
愛を主体とした世界に再編成するように
浄化と変革を促されているように見えます。

ヴィパッサナーは、
その流れに、沿っていると言えます。

だから、男女ともに参加を希望する人が
多いのだろうと思います。

「今のままの世界じゃ、
今のままの考えじゃ、
なんかダメだ」と
実感している人が
増えてきているという証ですね。

とはいえ、

私はヴィパッサナーを
全ての人にオススメするつもりはありません。

個人的感想としては、
経験して本当に良かったなと思います。

でも、これが唯一無二の方法と言う訳でもないですし、
この方法でなくてはダメだ!と言うことでも無いからです。

でも、参加したいという方は、
是非参加をオススメします。

ただし、
10日間という日程に
耐えられない!
という状況の方もいらっしゃるかも知れません。

耐えられない時は、
まだ受けるタイミングではないのでしょう。

結構「これはやっちゃダメ」という
戒律があるので、
それを守り通す意思の固さが問われます。

自分とどこまでも対話、会話する
根気良さも問われます。

でも、
やり遂げてしか見えない景色が確かにある。

やり遂げて見える未来が確かにある。

本当に、
素晴らしい経験になりました。

いつもお読みいただいて、
どうもありがとうございます。

あとがき・・・・内容を読むと、老子の教えにも
方丈記にも通じますね。


なかじまみき

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