見出し画像

生きるということ

小六の娘が国語の宿題だそうで「今から音読するので聞いといて」と言う。

教科書に採択された谷川俊太郎の「生きる」だ。
娘の凛とした声が部屋に響き、やがて部屋を満たす。しみじみといい詩だと思う。まるで食卓に花が活けられたようだ。そして涙ぐみそうになる。

僕は詩を聞きながら二つのことを思い出す。

一つは乳がんで亡くなったジャーナリスト、千葉敦子さんの「よく死ぬことは、よく生きることだ」にあった言葉。

「人間は死ねるからこそ、生は尊く、人生は美しいのだろう。人生には喜びも苦しみもあるのだから、その最後の日々も、苦しいこともあろうが喜びに包まれた瞬間もあっておかしくない」

彼女は三度目の癌再発で言葉を失っても、最後の瞬間まで自分の意志を駆使して生きた。

もう一つは「飛鳥よ、そしてまだ見ぬ子へ」の著者、井村医師のこと。彼は長女の飛鳥さん誕生直後、右膝に悪性腫瘍が見つかり、転移を防ぐため右脚を切断。その後、リハビリを経て同院に復帰した義足の井村医師は、患者さんから「あの先生のために頑張る」と言われるほど尊敬を集めたが、非情にも腫瘍は両肺に転移。井村医師は、愛する妻子やまだ見ぬ2人目の子を残して死にゆく無念、自らの来歴や医療観などを手記として、残された約5カ月の間につづった。
その中で足を切断して生きられた喜びを全ての風景が、路傍にある石でさえ新鮮で輝いて見えると言っている。

谷川俊太郎自身はこの詩は不完全だと言う。しかし不完全だからこそ詩として味わい深くなったと言う。

示唆に富む言葉だ。
今夜も娘が朗読する。

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと
生きているということ

いま生きているということ
 
それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ
笑えるということ

怒れるということ

自由ということ
生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ
 
いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?