mikimomose

沖縄生まれで今は岐阜にいます。海と山が好き。下書きの寄せ集め。古本屋「庭文庫」やってま…

mikimomose

沖縄生まれで今は岐阜にいます。海と山が好き。下書きの寄せ集め。古本屋「庭文庫」やってます→http://niwabunko.com/

マガジン

  • 庭文庫のこと、書いてくれてありがとう

    庭文庫に来てくれた方が、書いてくれたnoteをまとめてみました。書いてくれて、本当にありがとう。

最近の記事

  • 固定された記事

イラスト交換みたいに、これまで読んだ本の話をする

この前、小学二年生の子と好きな絵本の話をした。彼女の好きな絵本を教えてもらい、わたしの好きな絵本を伝えた。彼女はわたしの好きな絵本を読んでくれて、「面白かったよ」と言ってくれた。それが、とてつもなく嬉しかった。 小学生の頃、絵が好きな者同士でイラスト交換をして異様に楽しかった、そんな思い出がむくむく盛り上がった。編み物が流行ったときは、お互いに編んだものを差し出しあい、将棋が流行れば、毎日盤面を睨んで対局し、将棋の知識を交換した。おすすめの漫画はほうぼうで貸し借りが行われ、

    • 毎晩毎晩倒れそうだ

       夜になるたびに「倒れそうだ」とおもう。布団に寝転がってもおもう。体力がないせいかとおもっていた。恵那に来て8年。ほとんど車。30代も半ばに近づいた。体力が落ちたのだと、おもっていた。  しかしこの春、やってみれば10km2時間の歩きは結構余裕で歩けて、京都で自転車20kmの書店巡りも全然大丈夫だった。筋肉痛にもさほもならず、心地よい疲れがあった。もちろん、めちゃくちゃ寝はした。わたしにないのは体力ではないらしい。体力でないのだとしたら、おそらく気力が、ない。  そもそも

      • 岐阜駅本の市 ふりかえり&反省

        3/2〜3/3 岐阜駅アクティブGにて開催された岐阜駅本の市のふりかえりを、忘れないうちに。 (経費、売上部分だけ有料にしています…) ▼イベント公式インスタ https://www.instagram.com/gifu.honnoichi?igsh=Y3FwMnZlejNlcmxk わたしたちは、3階で開催の小さな〝文学フリマ〟のような企画「Independent Publishing Market」に両日参加しました。 ちょうど娘もすこし手を離れてきたタイミングで、

        有料
        350
        • 自営5年目にしてようやく定まってきたこと

           組織を離れて、ももちゃんとふたりで店をやるようになって、1番困ったことは、時間の使い方だった。会社や市役所の中にいるときは、就業時間中に、やれる範囲でやれば良かった。おわらないものは、同僚や先輩にヘルプを出し、先送りにしてもいいものは時間のある時にやる。それだけでよかった。  自分でやると決めてから、やることの膨大さにくらくらした。目先のお金、予定も大事。ただそれだけじゃなくて、来年、再来年、もっと先のことを見た動きもないと、おそらく泥舟のようにズブズブ沈んでいくような気

        • 固定された記事

        イラスト交換みたいに、これまで読んだ本の話をする

        マガジン

        • 庭文庫のこと、書いてくれてありがとう
          22本

        記事

          あたらしい今日

           今ではなく「いつか」へ、ここではない「どこか」へ、行きたいと、わたしは幼いころから、ずっとおもっているのかもしれない。それが沖縄でも、大阪でも、東京でも、恵那でも。  朝ドラあまちゃんの中で、「どこへ行ってもおなじよ!」と春子さんが言う。そうか〜???とおもっていたが、そうなのかもしれない。  今、と、ここ、がこわい。寄る辺のない宇宙みたいに広くて、掴む先がなにもなくて。  ながらくわたしは行き当たりばったりなのに、未来志向が強いなぁとおもっていた。近い将来、〇〇をす

          あたらしい今日

          産後が終わった、そして日々はつづく

           娘が2歳半になった。手が汚れれば自分で手を洗えるようになり、人形を寝かしつけ、猫とねこじゃらしで遊び、アンパンマンのキャラクターを愛す。一歳のときより野菜をあまり食べなくなり、走るのがぐんとはやくなった。  毎日、驚くくらいに新鮮に、かわいい。毎朝、毎晩、なんてかわいい子がわが家にいるんだ、といちいち感動してしまう。その感動と、当たり前に並行に新たな悩みや課題は常に出てくる。  娘が2歳半を過ぎ、ようやく産後が終わったような気がする。人生ではじめての妊娠、出産、産後はど

          産後が終わった、そして日々はつづく

           1日が24時間しかないこと、一生が長くても100年しかないことを受け入れられない。身体の有限性は、もう随分前からわかっている。ここにしかいない。頭の中では遠くへも行けることも。  この体のまま2000年生きたい。それが無理なことが無理。前世も来世も信じない。

           1日が24時間しかないこと、一生が長くても100年しかないことを受け入れられない。身体の有限性は、もう随分前からわかっている。ここにしかいない。頭の中では遠くへも行けることも。  この体のまま2000年生きたい。それが無理なことが無理。前世も来世も信じない。

          ビックラブを胸に

           庭文庫になる、古民家と出会ったとき、なんて美しい場所にある、なんて素敵な建物だろうと胸が高鳴った。坂を登って、途中にある大きなカヤの木を見て、山があって、きらめく木曽川があって、そうして茶色のあの、建物がある。どうしてもここで、古本屋をやりたいと、物件を借りられるまでに1年かかった。そうしてオープン前、徹夜で庭文庫に泊まり込み、本の値段をつけたり、もらった箪笥の引き出しを出して本棚にしたり、縁側から川を眺めたりした。  ずっとこの家にあるソファーに寝転んで、ここはまるでゆ

          ビックラブを胸に

          なにを諦めてきたか

           30歳を過ぎ、誰かが何を掴んできたかよりも、何を諦めてきたのか、それがその人の人生を決めるんじゃないかとおもうようになった。  別に、決まりはしない。人生の、決定打などどこにもない。毎日があるだけで、その毎日の中で、誰かがなにかを諦めている。  王様になりたかった。大富豪にも、イローンマスクにも、鈴木敏夫にも、茨木のり子にも、大江健三郎にも、古井由吉にも。  どれにもなれないまま、頭が痛過ぎて寝込む冬。  繰り返えす、人生の決定打はない。今日があるだけで、わたしは空

          なにを諦めてきたか

          ムーンビーチの朝

           娘はいつも通り7時前に起きた。窓から静かな青色が見える。朝日を見るつもりだったのに、寝過ごしたことを残念におもうが、ここは西海岸、そもそも朝日は見られなかったのだと気がついたのは浜に降りて、後ろのホテルの方から太陽の光が射しているのを見たからだった。「海へ行こう!」と娘が言うから、ももちゃんを起こして3人で砂浜を歩く。どの時間帯とも違う海。わたしは朝の海が好きだ。  娘は海に入りたがっていたが、まだ寒いからやめよう?と声をかけて足を洗う。タオルで簡単に拭いてそのまま外階段

          ムーンビーチの朝

          海のそばのホテル

           リゾートホテルだけがもつ、夜のこわさがある。清潔な真っ白なリネンの上で、ひとあし先に娘は寝息を立てている。窓を開けているから、外からはザザーザザーと波の音が4階のこの部屋まで届く。ももちゃんは煙草を吸いに外へ出ている。枕元のスイッチで部屋の電気を消して、娘の隣にもぐりこむ。天井が高い。同じこのホテルの中で、セックスをしたり、お酒を飲んだり、尽きない話をしたり、もう寝たりしている人たち、夜勤をしているだろうスタッフの人たちのことをおもう。今、このホテルに泊まっているすべての人

          海のそばのホテル

          飛行機

           飛行機が好きだ。というか、飛行機から見える景色が好きだ。いつもいちいち感動してしまう。庶民でも飛行機に乗れる現代万歳!と叫びたくなる。だから絶対に席は窓際だ。窓の見えない飛行機はただの大きなつまらない乗り物でしかない。  飛行機から見える世界と、わたしの想像する死後の世界の姿は随分似ている。上空は上に行けば行くほど濃くなる青で、下には先の見えない白いふわふわの物体。毛布のようであり、砂のようであるもの。雲の下に見える海は、人肌の肌理に見える。波のつくる模様は、手の甲の皺と

          絵を描いた話

          この前、共同通信社からの依頼で絵を描くことになった。 正確に言うなら、コラムの文章をももちゃんに、その挿絵をわたしに、という依頼だった。 最初の一枚は書けた!とおもったけれど、回を重ねるごとに絵を描くのが難しくなった。 後半になるにつれて、これでいいのかな?という気持ちの中で描いたけれど、そのたびに、ももちゃんは「いいじゃん」と褒めてくれた。 本当はもっとイラストチックな絵にするつもりだったのだけれど、結局水彩画のまま続け、おわった。 手応えがあるか、といわれたら正直よく

          絵を描いた話

          じ、人生〜〜!

           この数ヶ月で、人が複雑なことがわかった。もちろん、わたしも含め、あらゆる人の複雑に絡まりあったなにか。それをずっと眺めている。  わかりやすい絡まりも、ある。それは解きやすいという意味ではなくて、わたしの絡まりの形に似ているもの。一方で、なぜ?とおもうところで絡んでいる糸も見える。あまりに自分と違う箇所でもしくは全然違う形に絡んでいる糸。  別に見えてる気がするからといって、なんにもない。ああ、複雑だな、とわたしがおもうだけである。そして、多分その複雑さを複雑なものとし

          じ、人生〜〜!

          増え続けるのは、わからないこと

           大人になると、わかることが増えるものだと思い込んでいたけれど、年々わからないことが増えていく。ある人のぽろっと口に出した言葉、漫画の台詞、映画のワンシーン、小説の一文、誰かの行動。わかった、それわかる、というものは、記憶に残るものは少ないけれど、わからないこと、不可解なことは、普段おもいださないだけで、どこかに沈殿していく。  ある日、それが唐突にわかるときがある。あ、あのときの、アレってこういうことだったのか、と膝を打ちたくなる日。ただし、そのスピードは、わからないこと

          増え続けるのは、わからないこと

          怒りとともにある日々ver0

           この前のnote(怒りとともにある日々)には下書きがあった。どうしても書きたくなったけれど、スマホの充電は切れていて仕方なくパソコンを立ち上げ書いた。  そのときはしっくり来ず、もう一度充電したスマホで書いた。内容は大体同じだ。こちらもあげたくなったので、このままあげることにした。 ***  今日の午前中に書いたこのnote(わたしの大丈夫倶楽部)、うそはひとつもないけれど、これだけでは片手落ちなので、もうひとつ書くことにする。 *  この前、『金は払う、冒険は愉

          怒りとともにある日々ver0